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政治関連・社会問題などについて書いてゆきます!

西日本新聞【中村哲という生き方】連載中!

2020年1月6日(月)

 西日本新聞の紙面では、去年(2019年)12月4日中村哲さんが
アフガニスタンで殉職後ただちに【特集ページ】を設けています。

今年1月1日より「中村哲という生き方」と題する連載記事を掲載。
以下、引用して御紹介します。


【連載】中村哲という生き方(上)
 「誰もが行きたがらぬところへ」

 西日本新聞 - 2020年1月1日 

20200101_Nishinippon_NakamuraTetsu-01.jpg

 ズボンの裾をまくるようにして、中村哲医師が右足にわずかに残る傷痕を見せてくれたことがある。「いらぬ心配をさせるから、今は書かんでね」。アフガニスタン東部の山間部を歩いていた時、戦闘の流れ弾に当たったのだという。

 無医地区の渓谷に診療所を開こうと、隣国パキスタンから峠を越えて調査を続けていた時期のこと。傷は浅く、持ち歩いていた医療器具で自ら縫った。「かすり傷。大したことじゃなかったですね」

 中村さんは1984年にパキスタン北西部ペシャワルの病院に赴任。その後、戦乱に追われたアフガン難民の苦境を知り、両国で診療所を展開していく。

 転機は、2000年にアフガンで起こった大干ばつだった。乾きと飢えの犠牲者の多くは幼児。診療所の列を待つ間に腕の中で子どもが息絶え、ぼうぜんとする母親の姿は珍しくなかった。「もはや治療どころではない」。やむにやまれず土木の勉強を一から始め、00年に井戸を、03年からは用水路を掘り始めた。

 アフガンの治安は最悪だ。安全確保には細心の注意を払ってきた。近年は原則として宿舎と作業現場を往復するだけ。車で移動中に少しでも渋滞したら、ライフルを持つ護衛が荷台から飛び降りて交通整理を行った。停車する時間をつくらないように配慮した。

 信念は「誰もが行きたがらぬところへ行け、誰もがやりたがらぬことを為(な)せ」。そうである以上、リスクをなくすのは不可能とも言える。「まぐれで生き延びてきたようなものです」。記者が現地を訪れた5年前、にやりと笑った。

 危険な異郷で活動を続けた半生。原点は北九州市の若松にあった。

■「弱い者をかばえ」が原点 川筋気質、祖母の教え胸に

 洞海湾を望む北九州市若松区本町の一角に「玉井組事務所跡」と書かれた案内板が立っている。火野葦平の小説「花と龍」のモデルである玉井金五郎、マン夫妻が、気性の荒い川筋男たちを束ねて石炭荷役業を営んだ場所。終戦の翌年に福岡市で生まれた中村哲医師は2人の孫で、火野のおいだ。

 生後2年で若松に移り住み、母方の実家である玉井家は半ばわが家のようだった。祖父金五郎が亡くなった後、一家を取り仕切った祖母マンはしつけに厳しかった。火鉢の近くに泰然と座り、キセルでたばこを吸った。

 「率先して弱い者をかばえ」「どんな小さな命も尊べ」。折に触れて聞いたマンの説教が「自分の倫理観として根を張っている」と、中村さんは著書に書き残している。

 「哲さんの言うことはよく分かる」と、いとこの玉井行人さん(62)は話す。サッカーJ3で昨年、前季の最下位から劇的なリーグ優勝を果たした「ギラヴァンツ北九州」の社長だ。

 亡くなった行人さんの父は金五郎とマンの次男。いつも和服で過ごし、古くさい姿は子供心に恥ずかしかった。後に理由が分かった。人情に厚い父は大学教授の傍ら、刑務所の出所者の世話をしていた。返ってこないと知りながら、就職面接のために「着て行きなさい」と背広を貸した。ついに1着もなくなった。「なんちかんち言うな。理屈じゃなかろうが」。口癖のように繰り返していた。

 よく似た言葉を、5年前に訪れたアフガニスタンで中村さんからも聞いた。「何でやっているのかとよく聞かれますが、結局、理屈じゃないんですね」。パソコンや書類、灰皿が置かれた中村さんの机の上には、金五郎の写真が飾ってあった。

     ∞∞

 福岡市の西南学院中学に進学し、キリスト教と出合ったことも、中村さんの精神を形づくった。

 市内の教会に通いながら、牧師だった藤井健児さん(88)の自宅をしばしば訪れた。カラン、コロンとげたの音が響くと「哲ちゃんが来たな」。15歳ほどの年齢差があってもウマが合ったのか、聖書はもちろん政治や文化などさまざまなことを語り合った。中村さんが特に好きだったのは文学と自然。「伯父貴のように物書きになりたい」「『草と蛇』でも書くのか」。軽口もたたきながらの話は何時間も尽きなかった。

 やがて中村さんは、医師を目指すことを決める。藤井さんは目が不自由である。「目が悪いのにがんばっておられる先生のように、世の役に立ちたい」

 交流はその後も続いた。中村さんの長男は健さん。藤井さんの名前から1字取ったという。

     ∞∞

 アフガンでのかんがい事業では、多くの若者も共に汗を流した。宿舎の本棚には、キリスト教思想家内村鑑三の「後世への最大遺物」があった。中村さんが少年時代、受洗のきっかけにもなった本だった。「みんなのために何冊か置いといたけれど、読んだね」。中村さんの問い掛けを、元スタッフ杉山大二朗さん(44)=福岡県福津市=は覚えている。

 後に続く人たちのために何を残すか。金でも事業でも思想でもいいが、最大の遺産は「勇ましい生涯」だと内村は述べる。

 弱い者を助けるため、行動に移す。「誰もが行きたがらぬところへ行け」という中村さんの信条は、この本の一節でもある。

     ××

 12月4日、アフガンで凶弾に倒れた中村医師は何を支えとし、何を残したのか。その生き方に迫りたい。 (中原興平が担当します)



【連載】中村哲という生き方(中)
 ニホンオオカミと呼ばれ

 西日本新聞 - 2020年1月3日 

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【連載】中村哲という生き方(下)
 「ナカムラ学校」魂 脈々と

 西日本新聞 - 2020年1月4日 

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かつての「死の谷」で養蜂
 中村哲さんの遺業がまた一つ形に

 西日本新聞 - 2020年1月5日 

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