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政治関連・社会問題などについて書いてゆきます!

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で【表現の不自由展・その後】が展示中止へ!

2019年8月3日(土)

 最初、『あいちトリエンナーレ』に応援を!という faceboo 書き込みを
見た時一般的な芸術活動への資金カンパの投稿かと思っていた。

 しかし、次の瞬間には『あいちトリエンナーレ』(津田大介芸術監督)の
企画展のひとつ「表現の不自由展・その後」に対する暴力的脅迫や
電話やFAXそしてメールで職員に危害を加えることを示唆したり
京都アニメーションの放火事件を悪用して
『携行缶にガソリンを入れて訪問させていただく』とか言う危険性を
感じざるを得ない便乗脅迫も行われた。

 主として、韓国人慰安婦を示す【少女像】の展示がケシカラン
と云う趣旨の『抗議の声』のようだが、暴力的脅迫は犯罪行為であり、
取り締まりを強化すべき処である。

20190803_NHK-AichiTrienare-01.jpg
慰安婦問題の少女像
 きょうかぎりで芸術祭展示中止へ

 NHK - 2019年8月3日 15時13分


 ところが、主催者が警察に被害届を出しても警察は動けないと拒否したらしい。

 河村名古屋市長や菅官房長官は、暴力的脅迫と云う犯罪を前提とした上で
展示の中止を求めるという本末転倒の対応をした。

 津田大介芸術監督は、官邸や名古屋市長の意向には左右されないが
安全に関わる事態を考えて断腸の思いで展示を中止することにした、とのこと。

 しかし、この判断は、「脅迫すれば潰せる」という前例を作ったことになり
暴力で表現の自由は無くなることを示す結果となった。

 抗議の電話やFAXやメールは多くは見えても高々数十人程度が繰り返し
アカウントを変えて送り付けているに違いなく、映画【新聞記者】のように
内閣情報調査室が裏で糸を引いているかもわからない。

 展示の中止は残念な結果と言わなければならない。


【関連記事】

ガソリン放火など脅迫多く
 あいちトリエンナーレ少女像中止で知事会見

 毎日新聞 - 2019年8月3日 21時21分
https://mainichi.jp/articles/20190803/k00/00m/040/219000c


「平和の少女像」撤去 あいちトリエンナーレ
 知事会見 コーナー中止

 毎日新聞 - 2019年8月3日 17時15分
https://mainichi.jp/articles/20190803/k00/00m/040/110000c


「自由の気風を萎縮」日本ペンクラブが抗議声明
 「少女像」展示中止

 毎日新聞 - 2019年8月3日 19時12分
https://mainichi.jp/articles/20190803/k00/00m/040/149000c


(8月4日追記)

『表現の不自由展』アートの専門家は?
「政治家による批判、職責超えている」。
一方で「議論に接続する仕掛け必要だった」

 HuffPost - 2019年08月04日 11時54分

今回の対応は不寛容な態度に完全に屈したことになるわけです。
それはいちディレクターの敗北に留まらず、日本におけるアートの
社会的価値に蓋をすることに加担したことにもなります。
(中略)
そもそも、ガソリンを撒くことをほのめかすような脅迫に屈することは
社会的に正しいことではないはずです。
暴力で物事に影響を与えようとするのは、テロであり、それは警察行政
によって対処されるべきもののはず。
テロリストを基準に社会を構想すべきではないのはいうまでもないはずです。

*******************

長い記事の一部を引用

――主催者側も、こうした様々な意見があるテーマを提示することによって、「表現の自由」について考えてもらう、議論を深めるというのが本来の狙いだったようですが。

立場の違いを包含する物議をかもす作品には、価値があるはずなのです。ただし、それにはその作品をめぐる議論が、対話が必須なはずです。

今回の対応は不寛容な態度に完全に屈したことになるわけです。それはいちディレクターの敗北に留まらず、日本におけるアートの社会的価値に蓋をすることに加担したことにもなります。

そんな状況で、アートを観光や経済発展に活用する議論が政府を中心に行われ、リーディング・ミュージアムなるものが構想されている実情が、全く根拠を欠いた虚しいものになることは目に見えています。そこからは新しいものなんて何も生まれないでしょう。

そうした議論へと接続するための戦略的な仕掛けがなかったことに、正直がっかりしており、また、驚いてもいます。開催に向けた細やかな対応に比して、その思いは一層募ります。

――最終的に中止の決め手となったのは「安全な鑑賞環境を守れるかどうか」だったようです。警備などの安全対策が不十分だったといえるでしょうか?また、安全を理由に中止した判断は妥当でしょうか?

安全対策が必要ないことが最も好ましいことではありますが、そのために、無難な何の問いかけもない作品ばかりになったら、それこそ公益性がどこにあるのかがわからなくなると思います。

芸術祭が感覚的な快のためだけにあるのなら、それは現代アートである必要はないし、それこそ民間が提供できることではないでしょうか。

行政がやるべきことは、放っておいたら民間では誰もしないが、社会的には必要だということのはず。

そうした意味で、「物議をかもす作品」が、その物議の後に、より高次の視点を共有できるように持っていくことがだいじなはずです。

そのために必要なのは、専門的な領域に自律性を与え、外部が口を出すことを基本封じることだと思います。もちろん何らかのチェック機能は必要で、開催を決断したという大村知事を始めとして、ある程度は機能していたのだろうことは想像します。

そもそも、ガソリンを撒くことをほのめかすような脅迫に屈することは社会的に正しいことではないはずです。暴力で物事に影響を与えようとするのは、テロであり、それは警察行政によって対処されるべきもののはず。テロリストを基準に社会を構想すべきではないのはいうまでもないはずです。





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