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政治関連・社会問題などについて書いてゆきます!

『戦争の無かった平成時代』戦争抑止力は「日本国憲法」の平和条項!

2019年4月30日(火)

今日(2019年4月30日)深夜に元号が『平成』から『令和』に代わる。

午前中には、「退位礼当日賢所大前の儀」が行われたとのこと。
Nikkei_20190430_Emperor-Retire.jpg
天皇陛下「退位礼正殿の儀」へ 午後5時すぎにお言葉
 日本経済新聞 - 2019/4/30 9:38


『平成』時代は「戦争のない時代」(明仁天皇)と言われている。

それは、日本が戦火に巻き込まれなかったと云う意味では正しいが
自衛隊が戦地に派兵され、幸いにも犠牲者が出なかっただけで、
ジャーナリストや政府職員は海外での戦争や民族・宗教紛争に
巻き込まれて殺されている。

また、日本の米軍基地からは海外派兵が当たり前のように続けられていた。

世界各地では戦争や民族・宗教紛争は『平成』時代も絶え間なく続き、
多くの犠牲者が出ている。

その中で、日本全土が戦火に巻き込まれなかったのは、
「日本国憲法」とりわけ「前文」と「第9条」による政権への「抑止力」
によるものであった。

「戦争抑止力」は核兵器ではなく、
「日本国憲法」の平和条項である。



なお、私は明仁天皇の度重なる「日本国憲法」を護る意志表示や
被災地への慰問や戦争犠牲者と生存者への慰謝、戦争遺跡への慰霊
などの『日本国民の象徴』としての行動を高く評価しています。

明仁天皇が「日本国憲法」を尊重し平和メッセージを発し続けながら
「象徴としての果てしない道」を後継者に伝えられたように、徳仁(なるひと)
次期天皇も、それに続く人々にも「日本国憲法」の平和条項を擁護して
行動してほしい!

Kousitu_Kousei.jpg


    ************

【『平成』を締め括る後藤富和弁護士のメッセージ】

    ************

【明仁天皇のメッセージ】 へのリンクと抜粋(宮内庁公式サイトより)
   (適宜改行および文字補強は引用者による)

退位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば
(平成31年4月30日):閣議決定された「お言葉」であり限界あり!?

 こんにちをもち,天皇としての務めを終えることになりました。

ただ今,国民を代表して,安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に,深く謝意を表します。

 即位から30年,これまでの天皇としての務めを,国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは,幸せなことでした。
象徴としての私を受け入れ,支えてくれた国民に,心から感謝します。

 明日あすから始まる新しい令和の時代が,平和で実り多くあることを,皇后と共に心から願い,ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。



象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば
 譲位を求めたビデオメッセージ (平成28年8月8日)

(一部引用)
 本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。
 伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。
  (中略)
 始めにも述べましたように,憲法のもと,天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。

国民の理解を得られることを,切に願っています。



天皇陛下御在位三十年記念式典
平成31年2月24日(日)(国立劇場)

(一部引用)
(前略) 平成の30年間,日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ,近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが,それはまた,決して平坦な時代ではなく,多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。
 世界は気候変動の周期に入り,我が国も多くの自然災害に襲われ,また高齢化,少子化による人口構造の変化から,過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました。
 島国として比較的恵まれた形で独自の文化を育ててきた我が国も,今,グローバル化する世界の中で,更に外に向かって開かれ,その中で叡智えいちを持って自らの立場を確立し,誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められているのではないかと思います。
(中略)
 天皇として即位して以来今日こんにちまで,日々国の安寧と人々の幸せを祈り,象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました
 しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く,これから先,私を継いでいく人たちが,次の時代,更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め,先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。
(以下略)



天皇陛下お誕生日に際し(平成30年:2018年)
平成30年12月20日:宮殿 石橋の間

(一部引用)
【災害へのお見舞い:略】
 私は即位以来,日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてきました。
 譲位の日を迎えるまで,引き続きその在り方を求めながら,日々の務めを行っていきたいと思います。

 第二次世界大戦後の国際社会は,東西の冷戦構造の下にありましたが,平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ,冷戦は終焉えんを迎え,これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。
 しかしその後の世界の動きは,必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し,また,テロにより多くの犠牲者が生まれ,さらには,多数の難民が苦難の日々を送っていることに,心が痛みます
【戦後の歩みを振り返り:略】 (沖縄への想いを改めて述べる)
 そうした中で平成の時代に入り,戦後50年,60年,70年の節目の年を迎えました。
 先の大戦で多くの人命が失われ,また,我が国の戦後の平和と繁栄が,このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず,戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。
 平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安堵どしています。

そして,戦後60年にサイパン島を,戦後70年にパラオのペリリュー島を,更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
(以下略:改めて災害被災者へのお見舞いと障碍者、外国人への気配り)



天皇陛下お誕生日に際し(平成29年:2017年)
平成29年12月20日:宮殿 石橋の間

(一部引用)
【ベトナム訪問について】
(前略) ハノイにおいて,先の大戦の終了後もベトナムに残り,ベトナム人と共にフランスからの独立戦争を戦った,かなりの数の日本兵が現地で生活を営んだ家族の人たちに会う機会もありました
 こうした日本兵たちは,ベトナムの独立後,勧告により帰国を余儀なくされ,残されたベトナム人の家族は,幾多の苦労を重ねました。そうした中,これらベトナム人の家族と,帰国した元残留日本兵たちが,その後日本で築いた幾組かの家族との間に,理解ある交流が長く続いてきていることを聞き,深く感慨を覚えました。
 ハノイ訪問ののちに古都であるフエを訪問しましたが,ベトナム独立運動の先駆者で,日本の支援を求めて我が国に滞在した時期もあるファン・ボイ・チャウの記念館も訪れました。ここでも日本とベトナムとの様々な交流の歴史に触れることとなりました。今後とも両国の友好関係が一層進展していくことを願っています。

【譲位について】
この度,再来年4月末に期日が決定した私の譲位については,これまで多くの人々が各々の立場で考え,努力してきてくれたことを,心から感謝しています。残された日々,象徴としての務めを果たしながら,次の時代への継承に向けた準備を,関係する人々と共に行っていきたいと思います。



天皇陛下お誕生日に際し(平成28年:2016年)
平成28年12月20日:宮殿 石橋の間

(一部引用)
【フィリピン訪問について】
(前略) 両国の今日の友好関係は,先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人,日本人の犠牲の上に,長い年月を経て築かれてきました。この度の訪問において,こうした戦没者の霊の鎮まるそれぞれの場を訪ね,冥福を祈る機会を得たことは,有り難いことでした。
 また,戦後長く苦難の日々を送ってきた日系2世の人たちに会う機会を得たことも,私どもにとり非常に感慨深いことでした。
 今後とも両国の友好関係が更に深まることを祈っています。
(東日本大震災が発生してから5年 :お見舞いと励まし:略)
【譲位表明について】
 8月には,天皇としての自らの歩みを振り返り,この先の在り方,務めについて,ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け,各々の立場で親身に考えてくれていることに,深く感謝しています。
(中略)
11月中旬には,私的旅行として長野県阿智村に行き,満蒙開拓平和記念館を訪れました。記念館では,旧満州から引き揚げてきた人たちから話を聞き,満蒙開拓に携わった人々の,厳しい経験への理解を深めることができました




天皇陛下お誕生日に際し(平成27年:2015年)
平成27年12月18日:宮殿 石橋の間

(一部引用)
(自然災害へのお見舞いとノーベル賞受賞者への祝意)

 今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては,軍人以外の人々も含め,誠に多くの人命が失われました。
 平和であったならば,社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり,このことを考えると,非常に心が痛みます。

【戦争に動員された民間船徴用と船員の犠牲について】
 軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として,民間の船の船員があります
 将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が,民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き,敵の攻撃によって命を失いました
 日本は海に囲まれ,海運国として発展していました。私も小さい時,船の絵葉書を見て楽しんだことがありますが,それらの船は,病院船として残った氷川丸以外は,ほとんど海に沈んだということを後に知りました。
 制空権がなく,輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも,輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ,亡くなった船員のことを思い,供花しました。

 この節目の年に当たり,かつて日本の委任統治領であったパラオ共和国を皇后と共に訪問し,ペリリュー島にある日本政府の建立した西太平洋戦没者の碑と米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑に供花しました
(パラオ慰霊について詳しく述べられた:略)
 この1年を振り返ると,様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。
 年々,戦争を知らない世代が増加していきますが,先の戦争のことを十分に知り,考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います

 私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり,行事の時に間違えることもありました。したがって,一つ一つの行事に注意深く臨むことによって,少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。






     *****************

【『平成』を締め括る後藤富和弁護士のメッセージ】
 2019年4月30日
 前半で戦争の時代『昭和』を振り返り
 後半で明仁天皇への尊敬の想いも書かれています。

元号騒ぎに辟易しています。そもそも「祝」令和って何が「祝」なのか分かりません。単に金儲けのためにあやかっただけでしょ。
辟易しているので,あえて4年前の自分の投稿をシェアします。
     *****************
天皇は、大日本帝国憲法下では現人神でしたが、日本国憲法においては「象徴」にすぎず憲法尊重擁護義務を負い一切の政治的権能を有しないと位置付けられています。

これは天皇個人の人格が危ないから政治的権能を奪ったというのではなく、国民が意見できない絶対的存在を作ることでその地位を悪用する政治家が出てくることを恐れてのことです。

私が講演の際に象徴天皇の説明するのに出す例がアイドルの1日警察署長です。

そして、天皇を絶対的存在とすることによる誤ちの例としては、太平洋戦争をあげます。

1941年12月8日に始まったアメリカとの戦争は、およそ半年後のミッドウェー海戦において完膚なきまでの敗北を喫します。ミッドウェー海戦において機動部隊を失ったわが国はもう戦う能力を失ってしまいました。戦う能力を奪われたのですから、本来であればこの時点で降伏すべきです。しかし、わが国は、その後3年以上も降伏しませんでした。その結果、戦場で、多くの日本兵はアメリカ兵の姿を見ることもなく、戦闘ではなく餓えと病気で死んで行きました。終戦があと1週間早ければ長崎の人達は死なずに済みました。10日早ければ広島の人達は犠牲にならずにすみました。2か月早ければ福岡市は空襲を受けることもなく、5か月早ければ、東京、大阪、名古屋、日本中の地方都市、そして沖縄は犠牲にならずに済んだはずです。なんで、戦う能力もないのに戦を続けたのか。それは神である天皇の名において始めた戦争を人間である国民が止めることが許されないからです。このようにたった半年で負けた戦をダラダラとその後3年以上も続け、多くの国民を犠牲にしてしまったのが戦前の天皇制です。

ちなみに自民党の憲法改正草案は天皇が「元首」となり、天皇には憲法尊重擁護義務が課せられず、国事に関する行為だけでなく「その他の行為」ができるようになっています。天皇の地位を悪用してくれと言わんばかりの改正案です。

このような経緯で、今の天皇は政治的権能を持たず、人に当然に認められる人権の多くが認められていません。信教の自由はなく、居住移転の自由もない、職業選択の自由もない、表現の自由もない、結婚の自由もない、参政権もない。
私はこのような人権侵害は許されるべきではないと考えますので、天皇制は廃止した方が良いと思っています。

ただ、今の「明仁天皇」のことは、人間としてとても尊敬できる方だと捉えています。

明仁天皇の言動からかなり聡明であることはわかりますが、それだけでなく弱者、被害者に寄り添う人柄に人間としての魅力を感じます。「悼む人」という小説がありましたが、明仁天皇はそれを地で行くかのように、一貫して被害者に寄り添い、被害者に対する謝罪を自らの使命だと捉えているように感じます。
明仁天皇は、憲法尊重擁護義務を負う象徴天皇として許されるギリギリの範囲で、平和へのメッセージを発しているように感じます。

私が今年(2915年)のテラカフェで満州事変を取り上げたのは、集団的自衛権が現実化しつつある今こそ満州事変をはじめとするわが国の侵略の歴史を学ぶ必要があると考えたからです。この点、明仁天皇の年始の言葉から彼が同じことを考えていることがわかりました(「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」)。また、最近の明仁天皇の訪問先(対馬丸、足尾銅山、ペリリュー島など)をみるにつけ、この人は自らの行動を通じて私たちに平和のメッセージを伝えようとしていると確信するに至りました。

もっとも、明仁天皇が人格的に素晴らしい人だとしても、自民党の憲法改正草案のように天皇を元首とすることには絶対に反対です。安倍氏のような政治家に天皇の地位が利用されるのが目に見えているからです。そういう意味では山本太郎参議院議員が天皇に直訴状を渡そうとした行為には失望しました(不敬という意味ではなく、政治的権能を有しない象徴天皇を政治利用したことに憲法に対する不理解が見えたからです)。

「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」を書いた矢部宏治氏も、私と同じように明仁天皇の言動に平和へのメッセージを感じたのでしょう。

【明仁天皇のメッセージをいくつか紹介します。】

「なぜ、日本は特攻隊戦法をとらなければならないの」(1945.8.2)

「石ぐらい投げられてもいい。そうしたことに恐れず、県民のなかに入っていきたい」(1975年の初めての沖縄訪問の前)

「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」(1975.7.17)

「ここに皇位を継承するに当たり、みなさんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓います」(1989.1.9)

「この両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時、我が国民は、このような戦争を再びくり返してはならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました」(1992.10.23)

「両国の永く密接な交流のあいだには、我が国が朝鮮半島の人々に多大の苦難を与えた一時期がありました。私は先年、このことにつき私の深い悲しみの気持ちを表明いたしましたが、今もかわらぬ気持ちを抱いております」(1994.3.24)

「沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」(1996.12.19)

「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると『続日本書紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」(2001.12.18)

「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」(2004。日本中の学校で国旗をあげて国歌を斉唱させることについ
て)

「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います」(2005.12.19)

「この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行なって、今日の日本を築きました」(2013.12.18)

「護衛艦は救助に向かわなかったのですか。護衛艦は、そういうときには、助けないという、そういう決まりになっていたんですか」(2014.6 対馬丸が沈没した後、護衛艦が児童の救助を行わずに現場から脱出したこと(対馬丸事件1944.8.21)について質問)
「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」(2015.1.1)


   明仁天皇のメッセージが、2015年1月1日で終わっているのは
   後藤富和さんの元投稿が2015年7月14日だったため。
   その後も明仁天皇は重要な平和メッセージを出されています。


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