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政治関連・社会問題などについて書いてゆきます!

護憲、戦争責任、反核、反ヘイト 美智子皇后が発し続けられる!

2018年10月21日(日)

 美智子皇后が、皇后としては最後になる誕生日メッセージを発せられた。

   (この投稿の後半に全文掲載;NHKニュース提供)

 このメッセージを極めて政治的に解釈した今日の【リテラ】の記事に注目!

『深読み』というか『期待を込めた解釈』と云うか様々な議論もあるだろうが、
読み込んで行くと確かにそう思う処もあって共感した!

明仁天皇も美智子皇后も皇太子(次期・天皇)も日本国憲法を大切する!
と云う点では首尾一貫しているように想う。

安倍晋三や取り巻き『ニセ右翼』の面々にとっては邪魔な皇室であろう。


 平成30年皇后陛下お誕生日に際してのご近影
  Emperess birthday-h301020
   (写真は宮内庁公式サイトよりコピペ)

皇后さま誕生日 記者の質問への回答 全文
 NHK NEWS - 2018年10月20日 7時30分


美智子皇后の誕生日談話「マクワウリ」に隠された意図が?
天皇夫妻が発信し続けた護憲・平和への思い、安倍改憲への危機感
 リテラ(編集部) - 2018年10月21日(日)

https://lite-ra.com/2018/10/post-4325.html
 

(一部引用)
 美智子皇后は、これまで手をつけられなかった小説などをじっくり読みたいと記してから、唐突に、こう筆を進めている。

〈また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ、マクワウリを作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ、陛下の御田の近くに1畳にも満たない広さの畠があり、そこにマクワウリが幾つかなっているのを見、大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと、大変に真面目なお顔で、これはいけない、神様に差し上げる物だからと仰せで、6月の大祓の日に用いられることを教えて下さいました。
大変な瓜田に踏み入るところでした。
それ以来、いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。〉

実は、誕生日コメントが掲載されている宮内庁のホームページには、今回の文書の終わりにわざわざ「(参考)」として、こんな解説文が添えられていた。

「大変な瓜田に踏み入るところでした」
 広く知られている言い習わしに「瓜田に履を納れず」(瓜畑で靴を履き直すと瓜を盗むのかと疑われるのですべきではないとの意から、疑念を招くような行為は避けるようにとの戒め)がある。〉

「瓜田に履を納れず」は「李下に冠を正さず」の対句としてしばしば使われる中国由来のことわざである。「李下に冠を正さず」のほうは聞き馴染みのある人も多いはずだ。

 こうした安倍首相を諌めるために使われた慣用句の対句となる言葉を今回、美智子皇后が発した。これは単なる偶然なのだろうか。

 実際、皇后の誕生日文書をよく読むと、そこに強い意図があることは明白だ。語られているエピソード自体は、皇后がそうとは知らずに神聖な瓜田のマクワウリを取りたいと言ったところ、天皇から止められたというもの。ところが、そこにいきなり前述した「大変な瓜田に踏み入るところでした」という強い表現が加えられ、わざわざ「瓜田に履を納れず」の“注釈”がつけられる。つまり、マクワウリをめぐる夫妻の思い出話が、「地位のある者は疑われるような行為をしてはならない」というメッセージに発展しているのだ。



数多くのプロットのある日本地図(訪問地か?)を見ながら
談話される 明仁天皇 と 美智子皇后
Emperess birthday-h301020-02
     (写真は宮内庁公式サイトよりコピペ)

【関連記事】

美智子さまが「皇后最後の誕生日声明」に込めた、静かなる叫びの正体
随所にちりばめられたメッセージを読む
 現代ビジネス編集部 - 2018年10月20日(土)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58082


     **************

護憲、戦争責任、反核、反ヘイト
…美智子皇后が発し続けた安倍政権へのカウンター
 リテラ(編集部) - 2018年10月21日(日)

 https://lite-ra.com/2018/10/post-4325_2.html
 

(一部引用)
 もとより、皇后は詩を愛し文学を研究するなど、深い教養をもつ人だ。例年、誕生日に際した文書コメントは、皇后自らが推敲を重ねてつくっていると言われる。今回の宮内庁による“注釈”も当然、皇后の指示によるものだと考えるべきだろう。

 そうした点を考えても、皇后は、マクワウリのエピソードを安倍首相に警句を発するために、あえて持ち出したのではないか、そう思えてならないのである。

 無論、こうした解釈が成り立つのも、美智子皇后がここ数年、婉曲的にではあるが、安倍政権の改憲や政策に警鐘を鳴らしてきたからに他ならない。

 たとえば、2013年の誕生日文書コメントでは〈今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます〉としたうえで、基本的人権の尊重や法の下の平等、言論の自由などを定めた五日市憲法草案など、民間の憲法草案に触れて〈深い感銘を覚えた〉と回顧した。美智子皇后は〈市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います〉と最大級に評価し、日本国憲法と同様の理念をもった憲法観が日本の〈市井の人々〉によってもつくられていたことを強調したのだが、これは、安倍首相ら右派の言う「現行憲法はGHQの押しつけだから改憲せねばならない」なる主張へのカウンターとしか思えないものだった。

 翌2014年には、自らA級戦犯の問題に踏み込み、その責任の大きさについて言及した。皇后は「私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません」として「その時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います」と記したのだが、実は、この皇后発言の2か月前には、安倍首相がA級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に、自民党総裁名で哀悼メッセージを送っていたことが報じられていた。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、安倍首相は戦犯たちを「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と賞賛したという。そうしたタイミングで皇后は、宮内記者会からの質問にはなかったA級戦犯の話題を自ら持ち出す、異例のコメントを発したのだ。

 そして昨年の誕生日文書では、ノーベル平和賞に「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」が選ばれたことを取り上げた。ICANは昨年7月の国連核兵器禁止条約の採択に貢献したことなどが評価されてノーベル平和賞を受賞したのだが、日本政府は条約批准を拒否、安倍首相は受賞に一言もコメントを出さないという時期に、美智子皇后はICANについて掘り下げて〈ようやく世界の目が向けられたことには大きな意義があった〉と大きく評価したのである。また、自身のエピソードを交えて軍縮の意義を強調し、〈奨学金制度の将来、日本で育つ海外からの移住者の子どもたちのため必要とされる配慮〉に言及するなど、安倍政権下での軍事増強やはびこる排外主義、ヘイトスピーチ、相次ぐ朝鮮学校の補助金停止問題を憂慮すると受け止められる文言も盛り込まれた。





     *************

皇后さま誕生日 記者の質問への回答 全文
 NHK NEWS - 2018年10月20日 7時30分

(問)この一年も、西日本豪雨や北海道の地震をはじめとする自然災害などさまざまな出来事がありました。今のお立場で誕生日を迎えられるのはことし限りとなりますが、天皇陛下の退位まで半年余りとなったご心境をお聞かせください。

退位まで半年余 ご心境は
(皇后さま)昨年の誕生日から今日まで、この一年も年初の大雪に始まり、地震、噴火、豪雨等、自然災害が各地で相次ぎ、世界でも同様の災害や猛暑による山火事、ハリケーン等が様々な場所で多くの被害をもたらしました。
「バックウォーター」「走錨」など、災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも、悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。
日本の各地で、災害により犠牲になられた方々を心より悼み、残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています。
また被災した地域に、少しでも早く平穏な日常の戻るよう、そして寒さに向かうこれからの季節を、どうか被災された方々が健康を損なうことなく過ごされるよう祈っています。

そのような中、時々に訪れる被災地では、被災者の静かに物事に耐える姿、そして恐らくは一人一人が大きな心の試練を経験しているだろう中で、健気に生きている子ども達の姿にいつも胸を打たれています。
また、被害が激しく、あれ程までに困難の大きい中で、一人でも多くの人命を救おうと、日夜全力を挙げて救援に当たられる全ての人々に対し、深い敬意と感謝の念を抱いています。

約三十年にわたる、陛下の「天皇」としてのお仕事への献身も、あと半年程で一つの区切りの時を迎えます。
これまで「全身」と「全霊」双方をもって務めに当たっていらっしゃいましたが、加齢と共に徐々に「全身」をもって、という部分が果たせなくなることをお感じになり、政府と国民にそのお気持ちをお伝えになりました。
五月からは皇太子が、陛下のこれまでと変わらず、心を込めてお役を果たしていくことを確信しています。
陛下は御譲位と共に、これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが、以後もきっと、それまでと変わらず、国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。
私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ、これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。

二十四歳の時、想像すら出来なかったこの道に招かれ、大きな不安の中で、ただ陛下の御自身のお立場に対するゆるぎない御覚悟に深く心を打たれ、おそばに上がりました。
そして振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで、どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの、というその時に伺ったお言葉のままに、陛下はこの六十年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。
義務を一つ一つ果たしつつ、次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子をお近くで感じとると共に、新憲法で定められた「象徴」のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を、今深い感慨と共に思い起こしています。

皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした。
与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく―そうした日々を重ねて、六十年という歳月が流れたように思います。
学生時代よく学長が「経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように」と云われたことを、幾度となく自分に云い聞かせてまいりました。
その間、昭和天皇と香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り、陛下には時に厳しく、しかし限りなく優しく寛容にお導き頂きました。
三人の子ども達は、誰も本当に可愛く、育児は眠さとの戦いでしたが、大きな喜びでした。
これまで私の成長を助けて下さった全ての方々に深く感謝しております。

陛下の御譲位後は、陛下の御健康をお見守りしつつ、御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。
そうした中で、これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け、心を寄せ続けていければと思っています。
例えば、陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは、平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。
これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います。

先々には、仙洞御所となる今の東宮御所に移ることになりますが、かつて三十年程住まったあちらの御所には、入り陽の見える窓を持つ一室があり、若い頃、よくその窓から夕焼けを見ていました。
三人の子ども達も皆この御所で育ち、戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。
赤坂に移る前に、ひとまず高輪の旧高松宮邸であったところに移居いたします。
昨年、何年ぶりかに宮邸を見に参りましたが、両殿下の薨去よりかなりの年月が経ちますのに、お住居の隅々まできれいで、管理を任されていた旧奉仕者が、夫妻二人して懸命にお守りして来たことを知り、深く心を打たれました。
出来るだけ手を入れず、宮邸であった当時の姿を保ったままで住みたいと、陛下とお話しし合っております。

公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが、これまでにいつか読みたいと思って求めたまま、手つかずになっていた本を、これからは一冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。
読み出すとつい夢中になるため、これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も、もう安心して手許に置けます。
ジーヴスも二、三冊待機しています。

また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ、マクワウリを作ってみたいと思っています。
こちらの御所に移居してすぐ、陛下の御田の近くに一畳にも満たない広さの畠があり、そこにマクワウリが幾つかなっているのを見、大層懐かしく思いました。
頂いてもよろしいか陛下に伺うと、大変に真面目なお顔で、これはいけない、神様に差し上げる物だからと仰せで、六月の大祓の日に用いられることを教えて下さいました。
大変な瓜田に踏み入るところでした。
それ以来、いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。

皇太子、天皇としての長いお務めを全うされ、やがて八十五歳におなりの陛下が、これまでのお疲れをいやされるためにも、これからの日々を赤坂の恵まれた自然の中でお過ごしになれることに、心の安らぎを覚えています。
しばらく離れていた懐かしい御用地が、今どのようになっているか。
日本タンポポはどのくらい残っているか、その増減がいつも気になっている日本蜜蜂は無事に生息し続けているか等を見廻り、陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワの木なども御一緒に植えながら、残された日々を、静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています。

 ******

【これまでのお言葉】

皇后さまは毎年、誕生日にあたって記者の質問に文書で回答を寄せてきたほか、節目の年などには記者会見に臨んで、ご自身の思いや考えを述べられてきました。

平成2年、天皇陛下の即位に伴う一連の儀式を終えての記者会見では「これからの日々を陛下のお気持に添い、人々の幸せを祈って過ごしてまいりたいと思います」と心境を述べられました。

天皇陛下の即位10年に際し、平成11年に行われた記者会見では、障害者や高齢者、災害の被災地などへの思いについて、「困難な状況にある人々に心を寄せることは、私どもの務めであり、これからもさらに心を尽くして、この務めを果たしていかなければいけないと思っています。行政に求められるものに比べ、より精神的な支援としての献身が求められているように感じます」と話されました。

災害に見舞われた人たちへの思いは、誕生日にあたっての文書回答で毎年のように述べられてきました。
東日本大震災が発生した平成23年には「厳しい日々を生き抜いている人々、別けても生活の激変に耐え、一生懸命に生きている子どもたちが、1日も早く日常を取り戻せるよう、平穏な日々の再来を祈っています」と記されました。

平和への思いについても繰り返し触れ、戦後70年を前にした平成26年の文書回答では「今、平和の恩恵に与っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています」と述べられました。

さらに、天皇陛下と積み重ねてきた国際親善への思いもあらわされてきました。

外国訪問にあたっての最後の記者会見となった平成19年のヨーロッパ訪問前の会見では、それまでの訪問を振り返ったうえで「これらの訪問を通じ、私の自国への認識と、言葉では表しえない日本への愛情が深まり、この気持ちを基盤として、他の国の人々の母国に対する愛情を推し測っていくようになったと思います」と述べられました。

一方で、60年近く共に歩んできた天皇陛下への思いも繰り返し述べられてきました。

結婚50年に際しての記者会見では「陛下はいつも皇太子、また天皇としての、お立場を自覚なさりつつ、私ども家族にも深い愛情を注いでくださいました。陛下が誠実で謙虚な方でいらっしゃり、また常に寛容でいらしたことが、私がおそばで50年を過ごしてこられた何よりの支えであったと思います」と語られました。

元側近「『平成流』を確立」

皇后さまの文書回答について、前の侍従次長で、長年、側近として天皇皇后両陛下を支えた佐藤正宏さんは「文面からもうかがえるとおり、皇后さまはこれまでお立場上ご苦労も多かったことと思いますが、天皇陛下とともに国民とより近くで接し心を通わせるという『平成流』を確立されたことに改めて敬服し、感謝の気持ちがこみ上げました」と述べました。

そして「被災者の悲しみを『少しでも分け持てれば』と表現されたくだりは、まさに国民に心を寄せるということです。私は常々、皇后さまは天皇陛下のいちばんの理解者であり協力者であると感じていましたが、今回のご回答からも端的にそう感じました」と語りました。

そのうえで「ご回答は、天皇陛下の御譲位が半年後に迫ってきたことを実感させるもので、寂しい気持ちもしますが、皇后さまは全面的に皇太子さまを信頼されて、安心してあとを譲られるというお気持ちなのだと感じました。これからは少しゆっくりされて、末永くお元気で楽しく生活されることを心から願っています」と話しました。




美智子さまが「皇后最後の誕生日声明」に込めた、静かなる叫びの正体
随所にちりばめられたメッセージを読む
 現代ビジネス編集部 - 2018年10月20日(土)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58082
 

 美しい山の稜線に突如、黒々とした岩石が顔を出したかのようだ――。

ある宮内庁幹部はこう形容した。皇后美智子さまが今日、「平成最後の誕生日」に発表した声明の「ある部分」を指して、である。

〈陛下の御譲位後は、陛下の御健康をお見守りしつつ、御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。そうした中で、これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け、心を寄せ続けていければと思っています。

例えば、陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは、平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います〉

皇室に嫁がれておよそ60年の歳月を穏やかに振り返る声明の中で、唐突に言及された「拉致被害者」の話題。そこにはいったい、どのような意図が込められているのか。

【宮内庁、騒然】

天皇皇后両陛下、皇太子と皇太子妃雅子さまは、毎年の誕生日に会見を開き、「お誕生日に際してのご感想」を発表している(雅子さまは例年、文書での発表)。その際、宮内記者会に加盟する報道機関15社は、事前に質問事項を取りまとめて宮内庁へ提出する。

しかし、今年の美智子さまの誕生日は「異例」であった。9月に入ってから、会見を取り仕切る高橋美佐男侍従次長が、宮内記者会幹事社のTBSと産経新聞(注:その後交代し、現在は日本テレビと北海道新聞)に対して、こう申し入れたのだ。

「このたびの皇后陛下誕生日会見は、事前質問をなくし、皇后陛下が語りたいことを語れるようにしていただけませんか? これが最後の公式会見となります。お話しになりたいことを、存分に話していただきたいのです」

もとよりご高齢を鑑みて、2015年から、天皇皇后両陛下への事前質問は1問に絞られている。申し入れを受けた宮内記者会は、記者総会を開いて各社の質問案を出し合い検討した。その結果、

「今年の相次ぐ自然災害と、平成の30年間を振り返っていただきたい」

という内容で、9月下旬に改めて高橋侍従次長に要望することになった。

皇后陛下は、折しも10月に入ると風邪で体調不良となり、都内で10月7日に開かれた障害者和太鼓大会には、天皇陛下がひとりで出席した。高橋侍従次長から宮内記者会へ、「今年の皇后陛下の誕生日は会見をなくし、文書のみの回答としたい。ご要望に沿ったお答えをいたします」という旨の通告がなされたのはこの頃だ。

「それから美智子さまは体調不良を押して、何度も原稿の推敲を重ねました。結果として、記者会が要望した『平成の30年を振り返る』だけでなく、実直な美智子さまらしい『皇室の60年を振り返る』ともいうべき、充実した内容になったのですが…」(前出・宮内庁幹部)

仕上がった原稿の内容が明らかになると、宮内庁は奥(=侍従、女官をはじめ内廷職員)も表(=宮内庁特別職)も騒然となった。冒頭にひいた「拉致被害者」への言及をはじめ、予想外かつ意味深な内容が盛り込まれていたからだ。

「これ、官邸はOK出すかな?」「(天皇陛下の生前退位の)特措法を作った政権に対する複雑な思いの表れでは?」

そんな声が飛び交い、宮内庁幹部は軒並み頭を抱える。だが美智子さまは、「そのまま記者の皆様に配ってほしい」との意向を示すばかりだった、という。

天皇皇后両陛下が、誕生日の会見で北朝鮮の拉致問題に言及した前例は、ないわけではない。もっともそれは、拉致被害者が帰国した翌年の2003(平成15)年と2004(平成16)年のことで、当時の一大ニュースであったのを思えば、ごく自然と言える。

平成最後の、そして皇后としても最後となる声明で、美智子さまが拉致問題を特記した意図は奈辺にあるのか。ここ数年の皇室と政権の関係性を思えば、憶測を呼ぶのも致し方のないことだろう。

【次代の天皇皇后へのメッセージ】

さらに、今回の美智子さまの声明で特筆すべきは、やはり次代の天皇たる皇太子さまと、皇后たる雅子さまへ向けたようにも読めるところが随所にちりばめられている点だ。ある元華族は声明を精読したうえで、このように指摘する。

「おふたりに直接言及している箇所は、〈私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ、これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います〉だけですが、そのあとの記述をよくよく読むと興味深い。

〈どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの〉

〈皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした〉

〈「経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように」と云われたことを、幾度となく自分に云い聞かせてまいりました。その間、昭和天皇と香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り…〉

これらの部分は――穿ちすぎかもしれませんが――、代替わり後の次代を担う皇太子ご夫妻に対するメッセージとみてよいのではないでしょうか。おふたりにも、今上陛下と同じく『象徴』の役割を全身全霊で担ってほしいという思いを、ご自身の経験を語る形式で間接的に伝えようとなさっている。

また、〈陛下の御田の近く〉になっているマクワウリを〈大層なつかしく思い〉、〈頂いてもよろしいか陛下に伺うと、大変に真面目なお顔で、これはいけない、神様に差し上げる物だからと仰せで、六月の大祓(おおはらい)の日に用いられることを教えて下さいました〉というところです。

ここで美智子さまは、マクワウリを挙げて昭和の記憶を匂わせるとともに、雅子様に向けて宮中祭祀の重要性と、『これからは、何がどうあれ雅子さまが皇后として皇室を支えてゆくしかない』という思いをお伝えになりたかったのではないでしょうか」

【静かなる叫び】

この元華族は、今回の美智子さまの声明の異質さをひとことで言い表すとすれば、「静寂が叫んでいるようだ」と語るが、的を射た表現だろう。

一見すれば、静かに淡々と、来し方を振り返っているかのように思える。しかしその奥には、ただならぬ強い願いが込められている。どれだけの国民が、そのことに気づいただろうか。

政権幹部のひとりは、この声明に接した官邸の反応についてこう語った。

「宮内庁の西村(泰彦次長)には、『了承』とだけ伝えたよ」

おそらくは、美智子さまにとって今回の声明が、まとまった形で、しかも公式に国民や他の皇族方に呼びかける最後の機会となる。言葉の端々にまで込められた美智子さまの真の思いを受け止めて、われわれは平成の次の時代を迎えねばならない。



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