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【潜伏キリシタンの12の資産】が世界文化遺産に認定!

2018年7月1日(日)

昨日の夕方に長崎と熊本・天草に点在する『潜伏キリシタンの遺跡』
12箇所の資産が【世界文化遺産】に認定されたとのこと!

おめでとうございます。


<速報>世界遺産に潜伏キリシタン 崎津集落(天草市)などで構成
熊本日日新聞 ー 2018/06/30(土) 17:56
国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は、崎津集落(天草市)など12資産で構成し、江戸時代以降のキリスト教禁制と独自信仰の歴史を伝える「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)を世界文化遺産に登録すると決定した。【熊日速報メール】



     ***************

「潜伏キリシタン」世界遺産登録 ユネスコ 
禁教期の信仰評価 長崎、熊本 集落など12資産

 西日本新聞 ー 2018年7月1日(日) 6時00分
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/429014


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(以下、画像は西日本新聞紙面記事より)

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 中東バーレーンで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)第42回世界遺産委員会は30日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)を世界文化遺産に登録することを決めた。2世紀半に及ぶ江戸幕府の禁教政策にもかかわらず、民衆がひそかに信仰を継続した独特の文化的伝統の証拠として評価された。国内の世界遺産は、昨年登録された「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡)に続き22件目。九州では4件目。
 「潜伏キリシタン遺産」は、キリシタンが禁教期に信仰や生活の場とした集落を中心に長崎県内11資産と熊本県内1資産の計12資産で構成。潜伏キリシタンが信仰を神父に告白した「信徒発見」の舞台となった大浦天主堂(長崎市)や、貝の模様を聖母に見立てて信仰した「天草の崎津集落」(熊本県天草市)がある。
(以下略)



長崎の教会群とキリスト教関連遺産「潜伏キリシタン」世界遺産登録
 曲折20年 禁教の歴史に光 潜伏キリシタン世界遺産
 構成資産外にも価値 包括的な発信必要

 西日本新聞 ー 2018年07月01日 06時00分
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/429012


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久賀島の旧五輪教会堂。木造建築が集落に溶け込んでいる=長崎県五島市
長崎市下黒崎町の枯松神社。社殿の下には、江戸時代の禁教期のものと考えられる長墓(キリシタン墓)があり、仏教とカトリック、かくれキリシタンの三者での祭礼も開かれる
 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産登録が決まった。長崎で世界遺産に向けた検討が始まったのは20年近く前。テーマや構成資産の見直しをはじめ、異例の曲折を経て念願を果たした。潜伏キリシタンの世界は、登録された資産にとどまらない歴史と奥行きを持つ。その価値をどのように伝えるかも課題となる。
 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、12の構成資産だけでは「潜伏キリシタン」の理解には不十分だとの指摘がある。当初登録を目指した「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」に対し国際記念物遺跡会議(イコモス)から「禁教期に焦点を」との助言を受けて構成を組み替えたが、禁教期の理解を進める資産を外したままだからだ。構成資産に含まれていない地域の歴史も包括的に伝えていく必要がある。
 長崎市の「外海(そとめ)の出津(しつ)集落」から東へ約2・5キロ離れた山中にキリシタンを祭る枯松神社がある。
 1938年に初めて建立された社殿は外海地域のキリシタンに影響を与えた伝道師バスチャンの師、サン・ジワンのものとされるキリシタン墓の上にあり、以前から「枯れ松さん」「サン・ジワン様」と呼ばれていた。入り口付近には潜伏キリシタンがオラショ=祈祷(きとう)=を唱えた「祈りの岩」もある。祭礼はかくれキリシタン、カトリック復帰者、改宗した仏教徒の三者で行う。表向きは仏教徒だった禁教期のキリシタン信仰の象徴的な存在だ。
 枯松神社がある黒崎地区には1920年完成の黒崎教会もある。しかし「教会群」の構成資産には入らず、「潜伏キリシタン」に変更になっても対象外となった。同地区に住む長崎外海キリシタン研究会代表の松川隆治さん(78)は「祈りの岩は10年ほど前にイコモスが注目した。黒崎抜きで潜伏キリシタンを語ることはできない」と言う。
 禁教期の信仰を伝えるかくれキリシタンは、世界遺産登録への機運が高まる中で注目を集めるようになった。今も信者が300人ほどいる長崎県平戸市・生月島は当初から構成資産になっていない。生月町博物館「島の館」の中園成生学芸員は「かくれキリシタンの位置付けをきちんとし、世界遺産の中でどう捉えるかが課題だ」と今後を見据える。
 黒崎や生月、信徒の大量発覚が4度起きた長崎市浦上地区などはいずれも国の文化財指定がなく構成資産から外れたが、禁教期と深く関わる場所抜きで潜伏キリシタンを語れるのか。早稲田大の大橋幸泰教授(近世史)は「資産という『点』ではなく地域全体として捉えるのが求められる考え方」と指摘する。
 今回の登録を受け、国や関係自治体は、世界的にも類例を見ない250年にわたる禁教の歴史を伝えるために、構成資産以外にも目を向けた発信に力を入れてほしい。
=2018/07/01付 西日本新聞朝刊=



「告白」と弾圧伝承 潜伏キリシタン世界遺産 
「信徒発見」子孫 先祖の誇り胸に

 西日本新聞 ー 2018年07月01日 06時00分
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/429013


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「信徒発見」で信仰を告白した森内てるの子孫、浩二郎さん。2代目の小さな聖母像を大切にしている=長崎市
 キリスト教禁制末期の1865年3月、完成直後の大浦天主堂(長崎市)を訪ねた潜伏キリシタンたちが神父に信仰を打ち明けた「信徒発見」。220年以上にわたる潜伏の歴史が終わるきっかけとなり、世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が紡ぐ物語を締めくくる。命を懸けた告白から150年余り。「信教の自由こそが、最も大切なこと」。告白した一行の子孫は信仰心を脈々と受け継いでいる。
 「ここにおります私どもは、全部あなた様と同じ心でございます」。長崎中心部から離れた旧浦上村で潜伏していたキリシタン十数人は、こう神父に告げた。その中に森内てるという女性がいた。「神父様の存在が確かめられれば殺されてもいい」。同行した姉と覚悟した。告白後、神父から親指大の聖母像を授かったと伝わる。
 5代目の子孫に当たる森内浩二郎さん(65)=長崎市=は「民衆のキリシタンからすれば、神父発見だったのでしょう」と語る。国内に最後まで残った宣教師が殉教したのは、禁教令から30年が経過した1644年。それ以降、潜伏した信徒の信仰心は、ある伝道師が残したとされる予言がよりどころとなった。
 「7代後に海の向こうから、告白を聞く司祭がやってくる」
 てるは禁教令が出されてから7代目。明治政府によって、てるを含む浦上の信徒は津和野(島根県)などに流刑となったが、授かった聖母像を髪や土中に隠し、信仰を守り抜いた。息子が役人から改宗を迫られる声が聞こえると「だまされるでないぞ」と大声で言い聞かせた。鉄の鎖を掛けられ、水責めに遭った手首の傷痕が死ぬまで残っていたという。
(以下略)



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