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野中広務氏92歳=元官房長官御逝去

2018年1月28日(日)

昨日のニュースですが・・・‪訃報:

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国会論戦で真摯にやりあった日本共産党も『赤旗』で哀悼の表明

野中広務元官房長官が死去
「赤旗」に登場 9条への思い語る

 しんぶん赤旗 - 2018年1月27日(土)
 

 官房長官や自民党幹事長などを歴任した野中広務(のなか・ひろむ)さんが26日、京都市内の病院で死去しました。92歳でした。京都府南丹市(旧園部町)出身。

 京都府議、副知事をへて1983年の衆院補選で初当選。村山富一内閣で自治相・国家公安委員長として初入閣し、小渕恵三内閣では官房長官、森喜朗内閣では党幹事長を務めました。03年に政界を引退。その後、憲法や戦争と平和、政治の原点をテーマに活発に発言を続けました。

 97年4月の米軍用地特別措置法改悪の際、担当委員長として衆院本会議で「この法律が沖縄を軍靴で踏みにじる結果にならぬように…。国会の審議が再び大政翼賛会的にならないように、若い人にお願いしたい」と自らの思いを付け加えました。

 「しんぶん赤旗」には09年6月27日付の特別インタビューで登場し、憲法9条への思いなどを語りました。

志位委員長がお悔やみ

 日本共産党の志位和夫委員長は、野中広務さんの訃報に接し、次のお悔やみを出しました。


 心からのお悔やみを申し上げます。1997年の沖縄の土地特措法の委員長報告で「国会の審議が再び大政翼賛会にならないように」と訴えた姿。09年「赤旗」インタビューに応じてくださり「戦争に加担しない道を」と訴えられたこと。平和と沖縄への深い思いを決して忘れません。



野中広務氏92歳=元官房長官、元自民党幹事長
 ‪毎日新聞 ー 2018年1月27日(土)‬
‪https://mainichi.jp/articles/20180127/k00/00m/040/061000c
 

 1925年10月、京都府園部町(現南丹市)生まれ。園部町長、京都府議、府副知事を経て、83年の衆院旧京都2区補選に自民党公認で57歳で初当選し、衆院で7回連続で当選。自治相兼国家公安委員長、官房長官、自民党幹事長などを歴任した。

 田中派を割った竹下登元首相に師事し、金丸信元自民党副総裁にも引き立てられた。92年の竹下派分裂後、小沢一郎氏(現自由党共同代表)に対抗する反小沢グループの急先鋒(せんぽう)として台頭。94年の村山自社さ政権で自治相兼国家公安委員長として初入閣し、地下鉄サリン事件をはじめ、オウム真理教による事件の陣頭指揮にあたった。

 98年に小渕内閣の官房長官に就任後、「悪魔」と呼んだ小沢氏に「ひれ伏してでも」と持ち掛けて99年の自自連立、公明党も含めた自自公連立につなげた。2000年4月に小渕恵三首相が病気で倒れた際には、野中氏ら5人が協議して、森喜朗氏を後継首相に決めた。森政権で党幹事長に就任し、加藤紘一元幹事長が森首相に退陣を迫った同年の「加藤の乱」では、加藤派などを切り崩して内閣不信任案を否決させた。

 「政界の狙撃手」と異名を取った攻撃的発言や、党内最大派閥だった平成研究会(現額賀派)の数の力を背景に、実力者として注目された。

 01年の小泉純一郎首相誕生後は、小泉首相の政治手法を批判し、小泉首相側から「抵抗勢力」と位置付けられた。03年の党総裁選で小泉氏支持に回った村岡兼造元官房長官を「毒まんじゅうを食った」と批判したが、小泉氏再選を受けて同年の衆院選に出馬せず、政界を引退した。

 戦争中に軍隊に召集された経験があり、「ハト派」として弱者への配慮を持ち続けた。イラク戦争などで自衛隊の海外派遣に抵抗。対中外交に熱意を持ち、曽慶紅・元国家副主席らと個人的なパイプを築いた。北朝鮮との関係改善に努め、90年の金丸訪朝団に同行した。沖縄問題にも熱心に取り組んだ。

 政界引退後は、全国土地改良事業団体連合会会長などを務めた。引退後も憲法改正に反対する考えなどを積極的に発信していた。
(以下略)



1月30日追記
【日刊スポーツ 政界地獄耳】 でも野中氏の業績を取り上げ・・・

野中広務の魂継ぐ声出ない自民党
 日刊スポーツ/政界地獄耳 - 2018年1月30日9時39分
 

 ★26日夜、自民党幹事長・官房長官などを歴任した野中広務の訃報が、政界を駆け抜けた。94年に発足した自社さ政権で自治相を務め、当時蔵相だった武村正義は「エリートにはない人間的な深みがあり、人を見る目は鋭かった。人物を見抜くという面で野中さんに匹敵する人はいないのではないか。卓越した政治家だった」と振り返った。立憲民主党代表・枝野幸男はさきがけで、同党国対委員長・辻元清美は社民党で野中の教えを受けた。また、既にほとんどが政界を引退しているが、当時の政界の中枢、そして野党の現職たちがこぞって死を悼んだ。

 ★希望の党で落選中の福島伸享(のぶゆき)はフェイスブックで「役人時代、レク(説明)に行くのが一番怖いのが野中先生だった。国会の廊下で会うだけで、おのずと道をよけて頭を垂れたくなってしまうような、独特のオーラが漂っていた。説明中、役人が作った資料をじっと凝視しながら説明を聞く姿は、妖気すら漂い、鬼気迫るもの。ずっと黙って聞いている中で、『ここはどういうことだ』と指さして指摘するところは、いつも役所がごまかしたり都合が悪いところだ。しかし頭が良いことを誇示したがる最近の猪口才(ちょこざい)の政治家とは違って、役人を論破するのではなく、その役所のごまかしに対して『まあ、事情があるんだろう』と見逃し、その代わりにそれなりの無理難題を交換条件に押し付けてくるのであった」。

 ★「国民に選ばれた代表として、地方自治の現場からはい上がってきた者として、戦中戦後の厳しい時代を苦労を重ねて生き延びてきた者として、『役人の思うままに国を動かせないぞ』という全身全霊を政治に懸ける姿を、私は見たのだった」と記している。さて問題は、自民党議員から野中のスピリッツを引き継ぐという声が出てこないことだ。反戦を貫き平和を希求し、弱者に寄り添う。保守政治家の本来の姿だろうと思うが、今の自民党に期待するのは無理なようだ。(K)※敬称略







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