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毎日新聞の連載 「国民とともに」努力 陛下、戦争の歴史踏まえ

2017年1月9日(月・成人の日)

これまで何度か紹介してきた憲法と共に歩む明仁天皇に関する
毎日新聞の連載。 今日も続いていた!

なので、以下に引用して紹介します。

憲法と歩む/10止 
「国民とともに」努力 陛下、戦争の歴史踏まえ
毎日新聞 ー 2017年1月9日

 ■過去から学ぶ

 天皇陛下は先の大戦への反省のメッセージを積極的に発信される。2009年11月、即位20年の記者会見で記者から日本の将来の心配を聞かれ、「むしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくこと」と歴史を学ぶ大切さに触れた。

 そして「(1931年に)満州事変が起こり、先の大戦に至るまでの道のりが始まりました。昭和天皇にとって誠に不本意な歴史であったのではないかと察しております」と述べた。戦争の起点を37年の日中戦争や41年の日米開戦とせず、「昭和天皇にとって不本意」と踏み込んだ。安倍晋三首相の戦後70年談話が注目された15年の新年の感想でも、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び」と繰り返した。

 最近、ある歴史の専門家は陛下から「昭和天皇実録(14年公表)は読みましたか」と問いかけられたという。別の専門家は「陛下が満州事変に関心を持たれているのは確かで、話を熱心に聞く。昭和日本の転換点がどこかを考えたのでは」と話す。

 陛下は皇太子時代、父が戦争への道を歩んだ経緯を自分で調べようと昭和天皇側近の日記などを読みあさった。学友の橋本明氏(83)は学習院高等科に通っていた50年ごろ、陛下から「原田熊雄の日記を読んだ。父は平和を求めていたが、軍部に流された事情がよくわかった」と聞いた。

 原田は最後の元老として昭和天皇の相談役だった西園寺公望の秘書で、日記は「西園寺公と政局」として50年に出版された。加藤陽子東京大教授(日本近代史)は「昭和天皇が西園寺と共に満州事変不拡大を図り最善を尽くしたが、失敗した記録。陛下はそこを知りたかったのではないか」と話す。加藤氏は「『不本意な歴史』という感慨は、本書などを読まれた結果」とみる。

 西園寺は宮中に依拠しつつ、老練な政党政治家の力も利用して軍部に対抗しようとした。しかし、狭い権力関係のなかの権謀術数では、国内の閉塞(へいそく)感を外部に向けるナショナリズムの暴発にはなすすべがなかった。「軍部の暴走」は国民の支持があって初めて可能になったという歴史を学んだことで、社会とのつながりを保ち続けなければ、皇室は存続の危機に陥るという教訓を得たとみられる。

 ■政治から距離

 戦後の象徴天皇制は、皇室存廃の危機につながった大戦への反省から出発した。2008年、皇太子(現天皇)の教育役の東宮御教育常時参与だった元慶応義塾長・小泉信三の「御進講覚書」が新たに見つかり、慶応義塾福沢研究センターが保管している。1950年4月24日の日付で、皇太子への進講初日の準備として書かれたメモとみられる。

 小泉は「敗戦国に於(お)いては民心が王室をはなれ、君主制が終わりを告げるのが通則」と、第一、二次世界大戦の敗戦で王政が終わったロシア、ドイツ、オーストリア、イタリアの例を挙げた。日本の皇室だけが例外的に生き残り、「皇室と人民とは却(かえ)って相近づき相親しむに至った」理由は、長い歴史に加え「大半は陛下(昭和天皇)の御君徳による」とした。そのうえで皇太子に対し「このことをよく御考へにな」るべきだと諭す。現憲法では天皇に政治的権能がなくても、君主の人格や見識が政治に影響を与えるとして、国民へ思いをはせる取り組みが必要だとした。

 小泉は福沢諭吉の「帝室論」を教材で使った。「帝室は政治社外のものなり」として、利害の対立する政治から天皇が距離を置くことで国民統合の要として機能できる、と説く。小泉は、象徴天皇制を正当化する考え方として活用した。

 また陛下は皇太子時代の81年8月の記者会見で、小泉との思い出で「一番記憶しているのは、『ジョージ5世伝』を一緒に読んだこと」と述べた。1910~36年に在位した英国王で、貴族院と衆議院との衝突やアイルランド自治問題で「王が激烈なる党争と世論対立の間に介(はさ)まれて、立憲君主として成すべきことの限界について苦悩した」(小泉の著作)。小泉は「書中の記事を話題に殿下とお話しする」教材として使った。

人間的な天皇像を問う
 中国の古典からも君主のあり方を学んだ。学友の橋本氏が高等科のころ、「夜に枕元でどんな本を読んでいるの」と聞くと、陛下は「孟子」を挙げたという。「孔子は君たちが学ぶべきことだ。孟子は天子の教えを勉強する書物だから、僕は読んでいる」

 中等、高等科で漢学を進講したのは諸橋轍次東京教育大名誉教授。諸橋は著書「孟子の話」で、「孟子の常套(じょうとう)語は『王者はよろしく民とともに楽しめよ』。王者は常に民と好悪を共にしようということである」と説いた。陛下が言う「国民とともに」の源流といえる。

 ■民主主義と

 生まれによる差別を前提とする世襲の天皇が、生まれによる差別の否定から出発した民主主義に基礎を置く。「国民統合の象徴」であり続けるには、「国民の総意」を得る取り組みが不可欠になる。

 陛下が取り組んでこられた被災地訪問などの公的行為は広く支持されている。一方で、日本国憲法を含めた民主主義憲法は君主制との闘いの伝統を起源に持ち、君主を厳しく制約する性質を本来的に持つ。陛下が作り上げた公的行為の姿は憲法上、期待されていないだけでなく、行うべきではないという議論もある。

 今回のおことばは「象徴としての行為と天皇の地位は一体」という新しい天皇像を示し、その是非を問いかけた。非人間的な近代天皇制を、天皇個人の高齢化やそれぞれの家族の問題に引きつけて考えるべき人間的なものに転換することで初めて安定的に続けられるという考え方も示した。民主主義のなかで天皇がどうあるべきか、答えを出す必要がある。=おわり

     ◇

 この企画は桐野耕一、野口武則、高島博之、田辺佑介、松井聡、山田奈緒、西田真季子、川上珠実が担当しました。

 ■ことば

満州事変
 中国東北地方に駐屯していた旧日本軍の関東軍が1931年9月18日、中国・奉天(現在の遼寧省瀋陽)近郊の柳条湖で南満州鉄道(満鉄)の線路を爆破した柳条湖事件を発端に起きた。日本側は中国軍の仕業として出撃し、中国東北地方を占領した。32年3月、清王朝最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀を執政(後に皇帝)として満州国を建国させた。しかし国際連盟が満州国の存在を認めない勧告案を採択し、日本は33年に国連を脱退した。その後、37年の日中戦争、41年の日米開戦へと突入し、アジア、太平洋各地での戦争は45年の日本の敗戦まで続いた。

 2015年8月、安倍晋三首相の「戦後70年談話」に関する有識者懇談会は報告書で、「満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジア諸国に多くの被害を与えた」と、満州事変から敗戦に至る日本の道のりを「侵略」と認めた。一方、首相談話は満州事変と国連脱退について、「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行った」との表現にとどめた。首相は談話発表の記者会見で、何が侵略に当たるかは「歴史家の議論に委ねるべきだ」と述べた。




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