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【公布70年 論憲のすすめ 焼け野原の萌芽】 西日本新聞連載 

2016年10月2日(日)

 西日本新聞が
  公布70年 【論憲のすすめ】
    と題して連載を始めたので


 最初ちょっと警戒したが、 『焼け野原の萌芽』 と副題を付け、
高野岩三郎氏や鈴木安蔵氏など『平和・民主主義・共和制』 を
目指した人々の話を現在に活かし、先人の智慧を連載する企画
なので興味深く読んでみた。 


論憲のすすめ 焼け野原の萌芽(1) 老博士、戦争体験胸に
 西日本新聞 - 2016年09月29日 01時00分

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  老博士の主張は、先の大戦中であれば確実に投獄される過激さだった。〈天皇制ヲ廃止シ、大統領ヲ元首トスル共和制採用〉。1945年11月、長崎出身で社会統計学者の高野岩三郎氏(当時74)は「日本共和国憲法私案要綱」を起草した。

 学者仲間ら7人で立ち上げた「憲法研究会」の草案論議は「国体(天皇制)をいかに残すか」が中心だった。失われれば一億玉砕も辞さないという国民はまだ多かった。「天皇をかついで民主主義に逆行する運動を起こす恐れがある」と反論したが、グループ案には盛り込まれなかった。

 私案の原文は今も、初代所長を務めた法政大大原社会問題研究所(東京)に保管されている。元所長の五十嵐仁法大名誉教授は「天皇解任論も出てきた時期。戦中の言論統制が解けて自由に発言できる雰囲気が、先駆的な案を生み出す後押しとなった」と指摘する。

   ■    ■

 「解放された喜びで没頭したのでしょう」。島根県安来市に稲田宏子さん(88)を訪ねると、叔父の思いを代弁してくれた。島根出身の憲法学者、稲田正次氏(1902~84)も45年12月、私案を公表している。

 〈コノ案ハ大体英憲法ニ範ヲ採リ旧独主義ノ色彩濃キ条項ヲ改廃シタリ間米憲法ノ条項ニ傚ヒタルモノアリ〉。同盟国だったドイツの考えを廃し、敵だった米英を模範とした案。にわかに先進国で重視されてきた「人権」も明文化した。

 当時は東京文理科大の助教授で43歳。九州帝国大を卒業し、熊本の師範学校などで教壇に立ちつつ蓄積してきた最新の知識を一気に吐き出した。戦中は警察の目をかいくぐるため、研究場所を華族会館に置いたこともあった。

 稲田私案は正々堂々、国務相に提出された。

   ■    ■

 長さ1メートルほどの焼夷(しょうい)弾の破片が島根の自宅にあることを、宏子さんは覚えていた。東京で大空襲に遭い、防空壕(ごう)で命は助かったものの、家を失った叔父が持ち帰ってきたという。「叔父さんには、二度と戦争を起こすまいという思いがあったはず」。突出した案には批判がつきまとう。それも覚悟の上。高野私案がそうだったように、確固たる決意がそこにはあった。

 こうした民間草案は新聞に掲載されることが多かった。45年9月には連合国軍総司令部(GHQ)が報道機関を統制する規則「プレスコード」を発し、検閲に乗り出している。しかし、独協大の古関彰一名誉教授(憲法史)によると「規制の対象は連合国への批判であって、憲法草案に関する記事が削除された事実は見当たらない」という。

 新憲法は日本人自身の手で-GHQは当初、そう考えていたとされる。

=2016/09/30付 西日本新聞朝刊=



論憲のすすめ 焼け野原の萌芽(2) 統制解け私案も続々
 西日本新聞 - 2016年09月30日 01時35分

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 老博士の主張は、先の大戦中であれば確実に投獄される過激さだった。〈天皇制ヲ廃止シ、大統領ヲ元首トスル共和制採用〉。1945年11月、長崎出身で社会統計学者の高野岩三郎氏(当時74)は「日本共和国憲法私案要綱」を起草した。

 学者仲間ら7人で立ち上げた「憲法研究会」の草案論議は「国体(天皇制)をいかに残すか」が中心だった。失われれば一億玉砕も辞さないという国民はまだ多かった。「天皇をかついで民主主義に逆行する運動を起こす恐れがある」と反論したが、グループ案には盛り込まれなかった。

 私案の原文は今も、初代所長を務めた法政大大原社会問題研究所(東京)に保管されている。元所長の五十嵐仁法大名誉教授は「天皇解任論も出てきた時期。戦中の言論統制が解けて自由に発言できる雰囲気が、先駆的な案を生み出す後押しとなった」と指摘する。

   ■    ■

 「解放された喜びで没頭したのでしょう」。島根県安来市に稲田宏子さん(88)を訪ねると、叔父の思いを代弁してくれた。島根出身の憲法学者、稲田正次氏(1902~84)も45年12月、私案を公表している。

 〈コノ案ハ大体英憲法ニ範ヲ採リ旧独主義ノ色彩濃キ条項ヲ改廃シタリ間米憲法ノ条項ニ傚ヒタルモノアリ〉。同盟国だったドイツの考えを廃し、敵だった米英を模範とした案。にわかに先進国で重視されてきた「人権」も明文化した。

 当時は東京文理科大の助教授で43歳。九州帝国大を卒業し、熊本の師範学校などで教壇に立ちつつ蓄積してきた最新の知識を一気に吐き出した。戦中は警察の目をかいくぐるため、研究場所を華族会館に置いたこともあった。

 稲田私案は正々堂々、国務相に提出された。

   ■    ■

 長さ1メートルほどの焼夷(しょうい)弾の破片が島根の自宅にあることを、宏子さんは覚えていた。東京で大空襲に遭い、防空壕(ごう)で命は助かったものの、家を失った叔父が持ち帰ってきたという。「叔父さんには、二度と戦争を起こすまいという思いがあったはず」。突出した案には批判がつきまとう。それも覚悟の上。高野私案がそうだったように、確固たる決意がそこにはあった。

 こうした民間草案は新聞に掲載されることが多かった。45年9月には連合国軍総司令部(GHQ)が報道機関を統制する規則「プレスコード」を発し、検閲に乗り出している。しかし、独協大の古関彰一名誉教授(憲法史)によると「規制の対象は連合国への批判であって、憲法草案に関する記事が削除された事実は見当たらない」という。

 新憲法は日本人自身の手で-GHQは当初、そう考えていたとされる。

=2016/09/30付 西日本新聞朝刊= 



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