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政治関連・社会問題などについて書いてゆきます!

今日2月26日は 80年前に『二・二六事件』が起こった日! NHKの美化報道!

2016年2月26日(金)

 今日2月26日は 80年前に『二・二六事件』が起こり
これを制圧する過程で軍の権力を掌握した所謂『統制派』によって
一気にファシズム体制の構築にになだれ込んだ日!

 『しんぶん赤旗』は、この歴史的流れを検証する記事を掲載しているが、

二・二六事件から80年 一気に戦時体制化 自由抑圧へ
 軍が内閣の命運を左右

 しんぶん赤旗 - 2016年2月26日(金)


 NHKニュースでは、【二・二六事件】を 何か美化したような内容になっていた。
 おまけに検索にHITしただけでも関連ニュースが「5本」も
首謀者や参加者の記録が新発見されたとか遺書が見付かったとか
彼らを懐かしみ慰霊するような傾向だった。
 日本型ファシズムを一気に推進することになった事件である。
 いよいよNHKは『ファシズム礼賛』の報道姿勢に舵を切ったのか?!

二・二六事件 青年将校直筆とみられる遺書見つかる
 NHK NEWS WEB - 2016年2月26日 17時10分


99歳の元兵士が語る二・二六事件
 NHK NEWS WEB - 2016年2月26日 15時19分


二・二六事件で殉職した警察官を追悼
 NHK NEWS WEB - 2016年2月26日 10時59分


二・二六事件から80年 遺族が慰霊 東京
 NHK NEWS WEB - 2016年2月26日 12時28分


「二・二六事件」 軍法会議の記録 来年以降公開へ
 NHK NEWS WEB - 2016年2月26日 4時12分


  ⇒ これは、あまりにも入れ込み過ぎだろう!

【関連記事】

二・二六事件80年 共産・小池政策委員長「今は共産が元気に頑張っている」
 産経新聞 - 2016年2月26日(金) 15時33分配信


二・二六事件から80年 「血染めの芝生」警護の誇り今に伝える
 産経新聞 - 2016年2月26日(金) 08:26


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二・二六事件から80年 一気に戦時体制化 自由抑圧へ
 軍が内閣の命運を左右

 しんぶん赤旗 - 2016年2月26日(金)
 

  80年前の2月26日、日本陸軍の青年将校によるクーデター、二・二六事件が起こりました(1936年)。この事件をきっかけに、軍部の政治への発言力が強まり、翌37年に日本は日中全面戦争に突入します。二・二六事件の経過と影響を考えます。(若林明)

排外主義あおる政治 背景に

 青年将校たちは、約1400人の武装兵力を動員し、首相官邸はじめ東京の永田町一帯を制圧。斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監らを殺害し、鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせました。東京市(当時)に戒厳令が施行されました(7月まで継続)。

国家改造を主張し

 青年将校たちは「皇道(こうどう)派」といわれ、極端な精神主義的な天皇中心主義で、クーデターによる国家改造を主張しました。陸軍内で皇道派に反対する「統制派」は、クーデターを否定するものの、軍部を中核として官僚・政財界とも提携した国家総動員体制を志向していました。

 青年将校たちが絶対視していた昭和天皇がクーデターの武力鎮圧を決め、海軍も鎮圧を主張し、失敗に終わりました。

 二・二六事件に先立ち、日本は関東軍の謀略による柳条湖事件をきっかけに中国東北部に侵攻した「満州事変」(31年)をおこしていました。国内では軍の発言力が強くなり、政党政治や議会が軽視されます。中国への侵略戦争を厳しく批判していた日本共産党に対する組織的な弾圧は、この時期に自由主義者などへとひろがりました。

 35年に、「天皇機関説事件」がおこります。美濃部達吉の天皇機関説は、天皇絶対の明治憲法を立憲主義的に解釈したものです。政府は、「国体明徴に関する声明」(同年8月)を発表し、天皇機関説を否定します。これは、国家による言論弾圧事件であり、議会政治への攻撃でした。「皇道派」は天皇機関説排撃を政府に要求する中心でした。

 日本近代史を研究する早稲田大学教授の大日方純夫氏は「明治憲法の解釈としてオーソドックスな学説だった天皇機関説を排斥し、天皇の地位を強める方向への大幅な解釈改憲です」といいます。

 二・二六事件をおこした青年将校の15人、事件に関与したとされた右翼の北一輝、西田税などが銃殺刑になります。陸軍は「粛軍」と称して「皇道派」を排除します。

 この事件によって、天皇側近にいた米英協調派は殺害され、陸軍内は「統制派」に一元化しました。事件直後の3月、陸軍は広田弘毅内閣の組閣に干渉し、複数の閣僚候補を「自由主義的だ」として排除させます。さらに、政府は陸海軍大臣の任用資格を現役の大将と中将に限定する制度を復活させました。この後、軍が首相の人選や内閣の命運を左右することになります。

軍「自立化」の怖さ

 日本近現代政治史を研究する首都大学東京教授の源川真希氏は「二・二六事件を中心とする時期に、軍は『自立化』します。それは大変恐ろしいことです。昨年の安保関連法案審議の中で、自衛隊の統合幕僚監部が、法案成立前に部隊編成などの計画を作成していた事実が明らかになりました。軍に対する国会と法律による統制がきかなくなったら、これは非常に危険です」といいます。

 大日方氏は「1920年代には、政党の活動が活発で、国際的にも、国際協調と軍縮が大きな流れとなっていました。しかし、二・二六事件前後の時期が日本の大きな曲がり角になりました。排外主義と対外的な危機意識をあおる政治が方向を誤らせたといえます。現代への教訓とすべきです」と語ります。 



二・二六事件 青年将校直筆とみられる遺書見つかる
 NHK NEWS WEB - 2016年2月26日 17時10分
  

 陸軍の青年将校らが政府要人を殺害した二・二六事件から26日で80年となります。このとき、牧野伸顕元内大臣の襲撃に失敗し、みずから命を絶った将校の直筆とみられる遺書が見つかりました。
 見つかったのは事件の中心的な人物の1人、河野壽大尉(当時28)の直筆とみられる遺書3通で、本人と親交のあった栃木県小山市の男性の遺品の中に残されていました。
 事件では、河野大尉は神奈川県湯河原町の旅館で、前年まで内大臣を務めていた牧野伸顕伯爵を襲撃したものの失敗し、9日後に陸軍の病院で自殺しました。
 遺書はこれまで写し書きしか残されておらず、実物は所在が分からなくなっていました。3通の遺書はいずれもしっかりとした文字で丁寧に書かれていて、このうち宛名のない1通には「皇國ノ前途ヲ憂ル余リ、死ヲ賭シテ此ノ源ヲ絶チ」と記され、河野大尉の強い意志がうかがえます。また、「陸軍大臣閣下」と宛名が書かれた遺書には「部下七名ハ小官ノ命ニ服従セシノミニテ何等罪ナキ者ナリ」と書かれ、部下への処罰を軽減するよう求めています。
 事件を研究している帝京大学文学部長の筒井清忠教授は「事件から80年たち、新たな資料が出てくることは少なくなっている。本物が残されていた経緯を調べれば当時の交流関係などを知る手がかりになる」と話しています。
この遺書は、神奈川県湯河原町の事件現場にある二・二六事件に関する資料の展示施設「光風荘」で公開されます。 


99歳の元兵士が語る二・二六事件
 NHK NEWS WEB - 2016年2月26日 15時19分
  

 陸軍の青年将校らが政府要人らを殺害した二・二六事件から26日で80年です。上官に命じられ、反乱軍の一員となった99歳の元兵士がNHKの取材に応じ、事件当時の緊迫した状況を語りました。
 志水慶朗さん(99)は二・二六事件の1か月半前に、現在の東京・港区にあった陸軍歩兵第3連隊の第7中隊に入隊したばかりでした。当時、自分の上官が大蔵大臣の高橋是清を「悪い人物だ」などと批判することばを聞き、志水さんは「軍隊は変わったところだ」と思ったと言います。
 その後、事件の10日前の2月16日に、志水さんの部隊は、警視庁まで隊列を組んで走る“演習”をさせられました。そのときの様子について、志水さんは「われわれが整列すると、小隊長が『青年将校の一部が決起して、現内閣を打倒する。第7中隊はただいまより、警視庁を襲撃する。弾込め!』と言った。軍隊はすごい演習をするものだと思った」と話しています。
 その後、2月26日の未明に、志水さんたちは目的も伝えられないまま、反乱軍に組み込まれます。食糧や実弾を持たされたうえ、合言葉を覚えさせられ、10日前の“演習”と同じように警視庁へと向かいました。部隊は警視庁を占拠し、志水さんは雪が積もる中で、警視庁の通用門に向かって銃を構え続けました。
 志水さんは「雪は30センチくらい積もっていたと思う。その雪の上にはって、銃口を門柱に向けていた。とにかく命令どおりに包囲したが、警視庁を占領することに何の意味があるのか、そのときは全然分かりません」と振り返ります。
 事件から4日目の29日に、志水さんたちはさらに移動し、国会議事堂に立てこもります。周囲は戦車部隊に包囲され、抵抗をやめて部隊に復帰するよう求める「兵に告ぐ」というラジオ放送や、ビラを使った呼びかけが行われました。自分たちが反乱軍となったことを知った志水さんは「まだ二十歳になったばかりで、どうして同じ日本の兵隊どうしで撃ち合って、死ななければいけないのかという気持ちになった。なぜわれわれが反乱軍とされているのか分からなかった。上官の命令でやっているだけで、悪いことはしていないと思っていた」と語っています。
 事件後、志水さんは取り調べを受けますが、目的も知らされないまま命じられただけで、罪に問われることはありませんでした。
事件から80年となる現在、志水さんは当時を振り返って、「軍人は『世論に惑わず、政治に関わらず』とされてきた。しかし、あの事件から軍部が強い発言力を持ち戦争が拡大した。軍が政治に介入することは誤りであり、繰り返してはならない。私は最後にビルマ、現在のミャンマーで終戦になり、戦争なんて2度とするものじゃないと思った」と話していました。
昭和史の大きな転換点
 二・二六事件は昭和11年2月26日に陸軍の青年将校らが総理大臣官邸などを襲撃した、クーデター事件です。いずれも元総理大臣で大蔵大臣の高橋是清、内大臣の斉藤実に加え、陸軍の教育総監、渡辺錠太郎が殺害されたほか、総理大臣の岡田啓介と誤って、義理の弟で秘書官だった松尾伝蔵も殺害されました。
 また、後に総理大臣となる侍従長だった鈴木貫太郎も重傷を負ったほか、伯爵で前の内大臣だった牧野伸顕も襲撃されました。さらに、総理大臣などの警護にあたっていた警視庁の警察官5人も犠牲になりました。
 「昭和維新」を掲げる青年将校らに率いられた1400人を超える部隊は、一時、首都・東京の中枢を占拠しましたが、戒厳令が出され、4日目の29日に鎮圧されました。その後、青年将校らは処刑されたり自決したりしましたが、これをきっかけに軍部の政治への関与が一層強まるようになりました。
 二・二六事件は昭和史の大きな転換点になったとされ、作家の松本清張など多くの人が事件に関する著作を発表し、80年となる今も関心を呼んでいます。 


二・二六事件で殉職した警察官を追悼
 NHK NEWS WEB - 2016年2月26日 10時59分
  

 陸軍の青年将校らが政府要人を殺害した二・二六事件から80年の26日、事件で殉職した警察官を追悼する行事が東京で行われ、要人警護にあたる警察官らが祈りをささげました。
 昭和11年2月26日に起きた二・二六事件では、陸軍の青年将校らが総理大臣官邸や政府要人の自宅などを襲撃して当時の閣僚など4人を殺害し、警護にあたっていた警視庁の警察官5人も殉職しました。
 事件から80年の26日、東京・千代田区の慰霊堂で追悼行事が行われ、警視庁警護課に所属する総理大臣官邸の警備隊や、要人警護に当たるSPと呼ばれる警察官、80人余りが参列しました。警察官たちは、黙とうをささげて、身をていして職務を全うした5人をしのぶとともに、ことし5月の伊勢志摩サミットでの警護に万全を期すことを誓っていました。
 警視庁警護課の関岡明課長は「殉職された先輩たちの警護の精神を継承し、いかなるテロにも屈せず対象者を守るという強い意志をもって任務に当たっていきたい」と話していました。 


二・二六事件から80年 遺族が慰霊 東京
 NHK NEWS WEB - 2016年2月26日 12時28分
  

 陸軍の青年将校らが政府要人らを殺害した二・二六事件から26日で80年です。東京・渋谷区にある事件の慰霊像には将校の遺族などが訪れて花を手向けました。
 東京・渋谷区にはかつて陸軍の刑務所があり、二・二六事件の慰霊像が設置されています。26日は処刑された将校の遺族などが次々と訪れ、事件で亡くなった人たちに花を手向けたり、手を合わせたりしていました。
 昭和11年2月26日に起きた二・二六事件では、陸軍の青年将校らが1400人余りを率いて、一時、首都・東京の中枢を占拠し、政府要人ら9人を殺害しました。その後、青年将校らは処刑されたり自決したりしましたが、事件は昭和史の大きな転換点になったとされています。
 死刑となった香田清貞大尉のおいの忠維さん(71)は「事件の真相はすべてが明らかになっておらず、なぜ事件が起きたのか知りたいという気持ちが今もあります。犠牲になられた方たちも、事件に関わった人たちも遺族としてともに慰霊していきたい」と話していました。
 また、禁錮刑となった今泉義道少尉の次男の章利さん(66)は「日本の平和が続くよう、事件を歴史の教訓として若い人たちに知ってほしい」と話していました。 


「二・二六事件」 軍法会議の記録 来年以降公開へ
 NHK NEWS WEB - 2016年2月26日 4時12分
  

 陸軍の青年将校らが政府要人を殺害した「二・二六事件」から26日で80年です。事件の「軍法会議」の記録は来年以降、国立公文書館で公開される予定で、専門家は新たな事実の解明につながると期待を寄せています。
 「二・二六事件」は、昭和11年2月26日に陸軍の青年将校らが1400人余りを率いて政府要人を殺害し、東京を占拠した事件で、この軍法会議の記録はほとんど一般には公開されていませんでした。
 しかし法務省は「歴史的な価値が高い」として、保管している事件の軍法会議の記録を4月以降、東京の国立公文書館に移すことにしていて、早ければ来年以降一般に公開される予定だということです。
 事件を研究している帝京大学文学部長の筒井清忠教授は「この軍法会議は弁護士もおらず傍聴もできない、いわば『暗黒裁判』だった。公開で真相の解明が進むと期待される」と話しています。
 一方で、国立公文書館が個人情報に関する内容の一部を明らかにしないケースがあることから、専門家からは全面的な公開を求める声が上がっています。これについて筒井教授は「80年が経過し、どういうプロセスで事件から戦争に進んだかを明らかにするためにも、一部を黒塗りにして非公開にすべきでない」と指摘しています。 




二・二六事件80年 共産・小池政策委員長「今は共産が元気に頑張っている」
 産経新聞 - 2016年2月26日(金) 15時33分配信

 共産党の小池晃政策委員長は26日の記者会見で、陸軍の青年将校らが軍事クーデターを狙った昭和11年の「二・二六事件」から80年を迎えたことに関し、当時非合法だった共産党が弾圧下にあったとした上で、「こんにち、共産党は元気に野党の中で役割を発揮して仕事をしている。共産党が元気に頑張っていくことが80年前の歴史を繰り返させない大きな力になるのではないか」と述べた。

 小池氏は、事件に関連して昨年成立した安全保障関連法の審議を振り返り、「審議を軽んじて自衛隊の制服組がドンドンことを決めていくような今の姿に、当時の状況が重なってみえてくる感じもする」と指摘。「当時と同じような『戦争をする国』に向かって進んでいる時代ということを感じさせる」とも述べた。

 戦前の共産党については、昭和8年に党員だったプロレタリアート作家の小林多喜二が「虐殺」され、9年には、後に共産党議長になる宮本顕治氏が投獄されたことを「治安維持法の下で過酷な弾圧の下にあった」と述べた。その上で、合法化された現在の共産党の存在が80年前との「決定的な違いだ」とし、「そういう責任もある政党だという思いで頑張りたい」と語った。



二・二六事件から80年 「血染めの芝生」警護の誇り今に伝える
 産経新聞 -  2016.2.26 08:26
 

  陸軍の青年将校らが軍事クーデターを狙った昭和11年の「二・二六事件」は、26日で80年となる。政府要人が殺傷され、首相官邸など日本の中枢が占拠された大事件。警視庁も応戦したが強力な武装と兵力に圧倒され警察官5人が殉職した。東京・桜田門の警視庁本部には当時をしのぶ“遺品”が引き継がれ、首都の治安を担う誇りを今に伝えている。

 警視庁本部16階。警護課の窓辺に置かれたプランターに芝生が茂っている。首相官邸で襲われた岡田啓介首相(当時)を警護中に殉職した清水与四郎巡査=当時(29)=が倒れ、鮮血で染まった庭の芝生を移植したものだ。

 「命がけで警護する。同じ任務を持つ先人の誇り、気概を感じる」と警護課の関岡明課長は語る。同課には、首相や外国元首ら要人を守るSP(セキュリティーポリス)が所属する。

 警視庁史などによると、清水巡査は官邸の裏門に近づく部隊に気付き、岡田首相に危険を伝えた。直後、侵入した兵士と銃撃戦になり、十数発を被弾。事件当日は大雪で、鮮血は積雪を溶かし芝生に染みた。この間に、岡田首相は身を隠して、九死に一生を得た。

 事件後、岡田首相は東京都葛飾区の浄心寺に清水巡査の墓を建立。「清水与四郎君の殉(たお)れた場所の芝草」と記した碑の前に芝生も移植された。同課は参拝を続けてきたが、事件を後進に伝えようと平成9年末、寺に依頼してプランター1鉢分を譲り受けた。毎日、課員が水やりを欠かさず、大切に手入れされている。

 首相官邸は14年に新築。警視庁もテロなどに対処する総理大臣官邸警備隊を新たに発足した。同隊は警護課に置かれ、約100人が勤務している。

 海外で過激組織などのテロが相次ぎ、日本でも緊張感が高まる中、主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)が5月に迫る。「サミットはもちろん、日々一つ一つの警護全てが重要だ。先輩方の心構えをかみしめつつ、任務に当たりたい」。関岡課長は力を込めた。



 二・二六事件 昭和11年2月26日、陸軍の青年将校が1483人の兵を率い起こしたクーデター。天皇親政を唱えて高橋是清蔵相、斎藤実内大臣ら政府要人を殺害、永田町一帯を占拠した。29日までに鎮圧され将校らは処刑。犬養毅首相が暗殺された7年の五・一五事件に続き、軍部が影響力を増す契機となった。 


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