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【天皇陛下、82歳に 「先の戦争を考え過ごした1年」】 (朝日見出し)

2015年12月23日(天皇誕生日)

 今日は、明仁天皇の誕生日でした。

 ここ数年、戦争等について天皇として最大限踏み込んだ発言をされていて
『護憲・民主主義・戦争反対派』 の人々からも 「安倍晋三への牽制」との
感想が幅広く寄せられるようになりました。

 今年も、記者会見での談話の大半を「戦争」に関する悔恨の念に費やし
深い哀悼の念と懸念を表明されています。
 この春に訪問されたパラオのことも話されました。
 特に、今回は戦争中に民間徴用船の船員として思いがけず戦争に動員され
命を失った船員への哀悼を強調されました。

 会見の冒頭では、自然災害での犠牲者を悼み、被災した人々を心配し
救援活動を行った人々に感謝の念を送っています。

天皇陛下 記者会見の全文
 毎日新聞2015年12月23日 他


     **************

【主な記事へのリンク】


天皇陛下、82歳に 「先の戦争を考え過ごした1年」
 朝日新聞:島康彦、伊藤和也 - 2015年12月23日05時08分


天皇陛下 82歳に 記者会見の全文
 戦後70年「先の戦争を考えた1年」

 毎日新聞2015年12月23日 05時00分


安倍政治に危機感、天皇は誕生日に何を語るのか?
官邸が強める宮内庁への圧力、安倍ブレーンを使い天皇批判も

 リテラ - 2015年12月22日


天皇陛下 82歳の誕生日
 NHK - 2015年12月23日 6時51分
 

 (前略)
<ことしは戦没者の慰霊に>
 戦後70年のことし、天皇陛下は、皇后さまとともに先の大戦と向き合い、国内外で戦没者の慰霊にあたられてきました。
 4月には、念願だったパラオへの訪問を果たし、太平洋戦争の激戦地ペリリュー島で慰霊碑に花を供えて戦没者の霊を慰められました。天皇陛下は、前夜の晩さん会の席で「先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」と述べられました。
 5月には、東京大空襲で亡くなった人たちなどの遺骨を納めた「東京都慰霊堂」で戦没者を慰霊したほか、
6月には神奈川県横須賀市に足を運び、太平洋戦争で犠牲になった民間の船員らの追悼式に臨まれました。
 さらに、宮城県と栃木県、それに長野県を訪れ、戦後、戦地から引き揚げ入植地の開拓にあたった人たちとも懇談し、これまでの苦労をねぎらわれました。
 天皇陛下は、また、皇后さまと、自然災害で被災した人や障害のある人たちにも心を寄せ続けられました。
 10月には、「関東・東北豪雨」で大きな被害が出た茨城県常総市を訪ねて被災者を見舞ったほか、大分県にある障害者支援施設も訪れ、パラリンピック出場を目指す選手たちを励まされました。
 天皇陛下は、来年1月には、皇后さまと、太平洋戦争の激戦地フィリピンを親善訪問されます。

 (以下略) 




【当ブログの過去の記事へのリンク】


今日は天皇誕生日でした! 記者会見での発言は重要!
2014年12月23日(火)


明仁天皇 傘寿の誕生日に際し 【憲法】を護る姿勢を何度も強調
2013年12月24日(火)


「働く機会持ち得ない事態…心痛む」 天皇も心痛
2008年12月23日




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天皇陛下 82歳に 記者会見の全文
 戦後70年「先の戦争を考えた1年」

 毎日新聞2015年12月23日 05時00分
 

 記者
 今年は自然災害などいたましい出来事があった一方、日本人2人がノーベル賞を受賞するなど、明るい話題もありました。天皇陛下は戦後70年の節目に当たり、新年のご感想で「満州事変に始まる戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えることが極めて大切」と述べられ、パラオをはじめ、国内外で慰霊の旅を重ねられました。また、全国戦没者追悼式では「さきの大戦に対する深い反省」という表現を新たに用いてお言葉を述べられたほか、玉音盤の原盤や、御文庫附属庫の公開もありました。年明けには、フィリピンへの公式訪問が予定されています。

 戦争や平和への思いに触れながら、この1年を振り返るとともに、来年へのお考えをお聞かせください。

     *******************

天皇陛下
<自然災害に関して:引用者注>
 今年の自然災害としては、まず5月に鹿児島県の口永良部島の新岳が噴火して、海岸まで達する火砕流が発生し、全島民が島から避難したことが挙げられます。火砕流は雲仙岳の噴火災害のお見舞いに行った時に見ましたが、海岸まで達する火砕流は本当に恐ろしい光景だったと思います。島民は幸い皆無事でしたが、まだ避難生活が続いていることに心を痛めています。

 9月には豪雨により鬼怒川などが氾濫し、8人が亡くなる大きな災害となりました。氾濫により多くの人々が家々に閉じ込められ、どんなにか不安な時を過ごしたことかと思います。自衛隊を始めとするヘリコプター等の救助活動により、人々が無事に救出されたことは本当に幸いなことでした。危険を伴う救出活動に携わった人々に深く感謝しています。水につかった家屋や田畑の復旧作業には多くの労力を必要とするもので、多数のボランティアが協力してくれていることをうれしく思っています。困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが日本人の中に豊かに育っていることを非常に心強く思います。後日、常総市の被災地をお見舞いしましたが、泥水につかった田畑が広がり、苦労して作物を育ててきた人々の気持ちはいかばかりかと察せられました。

<喜ばしい出来事に関して:引用者注>
 今年の喜ばしい出来事としては、まず二人の日本人がノーベル賞を受賞されたことが挙げられます。大村博士の生理学・医学賞は、アフリカや南米で、人に感染すると盲目になる危険をもたらすオンコセルカ症を治す薬を地中の菌から作り出されたことなどの業績によるものです。私は以前、オンコセルカ症を患って盲目になった人々が連なって歩いている痛ましい映像を見ていましたので、この病気を治す薬が出来たということを本当にうれしく思いました。一方、梶田博士の物理学賞は、神岡鉱山の地下にあるスーパーカミオカンデにおけるニュートリノの研究で、ニュートリノに質量があることを見出されたことに対する授賞でした。11年前、スーパーカミオカンデを訪問したことが思い起こされました。お二人の長年にわたる地道な研究を誠に尊いものと思います。

 また、日本製のジェット旅客機が完成し、試験飛行が行われたこともうれしいことでした。かつて日本で戦後初めてつくられたプロペラの旅客機YS11の試験飛行を、羽田の空港で関係者と共に見守ったことが懐かしく思い起こされました。それから50年以上がたったわけです。

<大戦が終結して70年に関して:引用者注>
 今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては、軍人以外の人々も含め、誠に多くの人命が失われました。平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、このことを考えると、非常に心が痛みます。

<大戦時の民間徴用船の犠牲者に関して:引用者注>
 軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として、民間の船の船員があります。将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が、民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き、敵の攻撃によって命を失いました。日本は海に囲まれ、海運国として発展していました。私も小さい時、船の絵葉書を見て楽しんだことがありますが、それらの船は、病院船として残った氷川丸以外は、ほとんど海に沈んだということを後に知りました。制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ、亡くなった船員のことを思い、供花しました。

<パラオ戦没者慰霊訪問と関連事項に関して:引用者注>
 この節目の年に当たり、かつて日本の委任統治領であったパラオ共和国を皇后と共に訪問し、ペリリュー島にある日本政府の建立した西太平洋戦没者の碑と米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑に供花しました。パラオ共和国大統領御夫妻、マーシャル諸島共和国大統領御夫妻、ミクロネシア連邦大統領御夫妻もこの訪問に同行してくださったことを深く感謝しています。この戦没者の碑の先にはアンガウル島があり、そこでも激戦により多くの人々が亡くなりました。アンガウル島は、今、激しい戦闘が行われた所とは思えないような木々の茂る緑の島となっています。空から見たパラオ共和国は珊瑚礁(さんごしょう)に囲まれた美しい島々からなっています。しかし、この海には無数の不発弾が沈んでおり、今日、技術を持った元海上自衛隊員がその処理に従事しています。危険を伴う作業であり、この海が安全になるまでにはまだ大変な時間のかかることと知りました。先の戦争が、島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならないと思います。

 パラオ訪問の後、夏には宮城県の北原尾、栃木県の千振、長野県の大日向と戦後の引揚者が入植した開拓の地を訪ねました。外地での開拓で多大な努力を払った人々が、引き揚げの困難を経、不毛に近い土地を必死に耕し、家畜を飼い、生活を立てた苦労がしのばれました。北原尾は、北のパラオという意味で、パラオから引き揚げてきた人々が入植したところです。

 この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。

<むすび:引用者注>
 私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。したがって、一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。

 今年もあとわずかになりました。来る年が人々にとって少しでも良い年となるよう願っています。 




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