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政治関連・社会問題などについて書いてゆきます!

【大学を衰弱させる「文系廃止」通知の非】 日経新聞社説(7/29)

2015年8月17日(月)

 ちょっと前の日経新聞の社説ですが、きょう経済誌『DIAMOND online』 が
この件で 『face book』 に投稿したのを発見して読んでみたら、大変な事態!

大学を衰弱させる「文系廃止」通知の非
 日本経済新聞 - 2015/7/29 3:30


 上記の『DIAMOND online』 の 『face book』 に投稿されたのは、当事者である
文部科学大臣補佐官の鈴木寛氏(東京大学・慶応義塾大学教授)の記事のリンク

 そのリンクから元記事を開くと、こんな感じ・・・
「大学に文系は要らない」は本当か?
下村大臣通達に対する誤解を解く(上)

 DIAMOND online:鈴木寛 -  2015年8月17日
 

いったい何が起きているのか?
国立大学への大臣通達に思わぬ波紋


 下村文部科学大臣が6月8日に国立大学法人の学長などに発出した組織・業務見直しの通知が、波紋を広げています。全10ページにわたる、多岐にわたる項目を含む通知文の一部に、「教員養成系と人文社会学系の学部・大学院について、18歳人口の減少や人材需要等を踏まえた組織見直しを計画し、社会的要請の高い分野へ積極的に取り組むこと」を求めた内容が含まれていたために、マスコミやそれを読んだ一部の大学関係者に「人文・社会科学系のいわゆる『文系』の学部はもう要らないのか? 」と、受け止められ、波紋を広げています。

 マスコミでも「大学を衰弱させる『文系廃止』通知の非」(日本経済新聞社説7月29日)「文系男への逆風」(産経新聞産経抄7月20日)といったトーンで、報じられています。

 こうした報道を受け、私も改めて担当者を呼びましたが、確かに、このような表現をすれば、粗探し、揚げ足取り、曲解報道が常の一部のマスコミにまんまとハメられるのは当たり前、このようなマスコミの対応にまで思いがいたらなかったことは、コミュニケーターとして、もっと勉強が必要だと注意しました。その点は、率直に反省すべきだと思いますし、文部科学省の組織としてのコミュニケーションについての洞察、文章チェック力も組織として見直すべきだと思います。

 しかし、文部科学省内部には、後で詳述しますが、文系軽視や文系廃止との思いは全くなく、文部科学省の真意とは全く異なる「文系学部軽視」というメッセージがウォールストリートジャーナルにまで掲載され、世界中に報じられてしまっているのは、国益上も由々しきことだと、憂慮しています。 

   (中略)

  一部のマスコミは、真実を伝えるよりもセンセーショナルに伝えることが常ですから、彼らのミスリードは相変わらずなので、想定内のこと。むしろ今回は、動機はともあれ、世の中に文系の意義について再考、再認識していただくいい機会になりましたし、私が尊敬する佐和隆光滋賀大学学長はじめ日経教室などでの非常にすばらしいご主張を世の中に発するキッカケにもなったので、よかったとは思っています。

 しかし、アカデミアの皆さんがそうしたマスコミの論調に簡単にも騙されてしまうのは、本当に問題です。アカデミアの基本は、世の中に流れる印象論的な言説に対して、冷静に関連文書、一次資料にあたって検証するのが、基本中の基本であるべきところを、マスコミの流す言説を鵜呑みにしてしまったのです。科学者の基本である批判的思考はどこへいってしまったのでしょう。

 特に、日本学術会議幹事会が7月23日、「これからの大学のあり方-特に教員養成・人文社会科学系のあり方-に関する議論に寄せて」と題した声明文を発表し、文部科学省の対応を「教育における人文・社会科学の軽視」とまで断じたことについて、私は失望を禁じ得ません

     (元文はこの数倍あり、冗長で退屈します!)

     ******************
 
 ここからは私のツッコミ! 

 報道に慌てて否定する見苦しさ! 身から出た錆!

鈴木寛文部科学大臣補佐官の言い訳。

またぞろ『部下』に「責任転嫁」

デザイン・ロゴ・コピペでの「責任転嫁」と同じ体たらく!

鈴木補佐官:
「こうした報道を受け、私も改めて担当者を呼びましたが、確かに、このような表現をすれば、粗探し、揚げ足取り、曲解報道が常の一部のマスコミにまんまとハメられるのは当たり前、このようなマスコミの対応にまで思いがいたらなかったことは、コミュニケーターとして、もっと勉強が必要だと注意しました。」
(DIAMOND online) だって!

部下(担当官)の表現力の乏しさと

「マスコミにまんまとハメられる」と他人のせいにする。

鈴木補佐官自身が、「マスコミにまんまとハメられる」と書くことが

一層マスコミを刺激し餌食にされると云うことを解っておらず、

担当官以上に『マスコミの対応にまで思いがいた』っていない


ことが判っていない大馬鹿者!

その上、「一部のマスコミは、真実を伝えるよりもセンセーショナルに
伝えることが常ですから、彼らのミスリードは相変わらずなので、
想定内のこと。」

  などとマスコミを挑発 (と云うより『宣戦布告』)

さらには、「アカデミアの皆さんがそうしたマスコミの論調に簡単にも
騙されてしまうのは、本当に問題です。」

  と謂わば同僚たる学術界も馬鹿にしている!

加えて、「特に、日本学術会議幹事会が7月23日、【これからの大学のあり方-特に教員養成・人文社会科学系のあり方-に関する議論に寄せて】」と題した声明文を発表し、文部科学省の対応を「教育における人文・社会科学の軽視」とまで断じたことについて、私は失望を禁じ得ません。」
  と書くに至っては、この方大丈夫なのか? と疑ってしまう!

他人を馬鹿にし、自らは居直り、財界の役立たない学部学科には

予算を削減すると云う政策を

「既定路線であり、今更騒がれるのが不思議」 と正当化!

マスコミは、これらの問題をもっと深く突っ込むべきである! 


 
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大学を衰弱させる「文系廃止」通知の非
 日本経済新聞 - 2015/7/29 3:30
 

  文部科学省が全国の国立大学に対し、人文社会科学系の学部・大学院のあり方を見直すよう求めた通知に反発が強まっている。
ことさらに「組織の廃止」に言及するなど問題の多い内容であり、批判が高まるのは当然だろう。


 時代の変化のなかで大学がその役割を自らに問い、改革を続ける必要があるのは言うまでもない。
しかしこんどの要請は「すぐに役に立たない分野は廃止を」と解釈できる不用意なものだ。
文科省は大学界を混乱させている通知を撤回すべきである。

 この通知は、国立大の第3期中期目標・中期計画の期間(6年間)が来年度から始まるのに合わせて出された。各大学は新たな中期目標・中期計画を、これに沿ってつくるよう求められている。

 通知のなかで文科省は「各大学の強み、特色、社会的役割を踏まえた速やかな組織改革を」と注文をつけ、特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努める」とした。

 かねて文科省は国立大に、旧態依然たる横並びから脱し、グローバル化や大学ごとの特色を出すための取り組みを求めてきた。その方向性自体は理解できる。

 しかし今回、人文社会科学だけを取り上げて「廃止」にまで踏み込んだのは明らかに行き過ぎである。文科省は「廃止」に力点は置いていないと釈明するが、大学側への強い威圧と受け止められても仕方があるまい。

 また、通知にある「社会的要請」とはそもそも何か。実学的なスキル育成だけでなく、歴史や文化を理解する力、ものごとを批判的に思考する力を持つ人材を育てるのも大学の役割ではないか。そうした機能を失った大学は知的な衰弱を深めるに違いない。

 さきの国立大学協会の総会では、文科省の姿勢に多くの懸念が示されている。
日本学術会議も今月23日に「教育における人文社会科学の軽視は、大学教育全体を底の浅いものにしかねない」と強い調子で批判する声明を出した。

 文科省は、国立大の運営費交付金の配分権を握っている。この権限をバックに大学に画一的な「改革」を押しつけても真の成果は期待できまい。
11年前の国立大法人化のとき、文科省は大学の自主性を高めると説明していた。その約束はほごになったのだろうか。 




「文系男への逆風」
 (産経新聞産経抄7月20日)
 

 アインシュタインのような優れた科学者や発明家は、広く尊敬を集め、国家に重んじられる。戦時下となれば、なおさらである。兵器づくりの技術や工学の専門知識があれば、兵役免除の特典もあった。

 ▼動物行動学者の竹内久美子さんによれば、戦争は、理科系男に有利に働く。ところが、平和時になると、口のうまい文科系男の出番となる。「彼らは、やすやすと女を騙(だま)し、いたるところで成功を収めるはずだ」(『浮気人類進化論』)。

 ▼「竹内理論」によれば、平和な日本で、文科系男が繁栄を謳歌(おうか)しているはずだった。実際は、さにあらず、である。文部科学省は先月、全国の国立大学に向けて、文系学部・大学院の再編を求める通知を出した。

 ▼特に教員養成系や人文社会科学系については、組織の廃止や転換に取り組むよう明記してある。政財界からの要望も背景にあるらしい。アカデミズムの追求は、一部のトップ校に任せ、大半の大学では実学を重視してほしい、というのだ。文系全体が、逆風にさらされているようにも感じる。

 ▼文科系男のはしくれである小欄としては、抗議ののろしの一つも上げたいところだ。もっとも、お前が学んだ学問が、何か世の中の役に立ったのか、と問われれば、言葉に窮するのも事実である。

 ▼文系、理系といえば、不適切会計問題で揺れる東芝について、こんな指摘がある。現場の声が経営に反映されなくなったのは、歴代社長に文系が多かったからではないか。東芝とは対照的に、最高益を更新した日立の歴代社長は、すべて理系だという。そういえば、50年前に外部から招かれ、倒産寸前の東芝を立て直した土光敏夫氏は、東京高等工業学校(現・東工大)出身の元エンジニアだった。 



「大学に文系は要らない」は本当か?
下村大臣通達に対する誤解を解く(上)

 DIAMOND online:鈴木寛 -  2015年8月17日
  

 いったい何が起きているのか?
 国立大学への大臣通達に思わぬ波紋


こんにちは、鈴木寛です。

 下村文部科学大臣が6月8日に国立大学法人の学長などに発出した組織・業務見直しの通知が、波紋を広げています。全10ページにわたる、多岐にわたる項目を含む通知文の一部に、「教員養成系と人文社会学系の学部・大学院について、18歳人口の減少や人材需要等を踏まえた組織見直しを計画し、社会的要請の高い分野へ積極的に取り組むこと」を求めた内容が含まれていたために、マスコミやそれを読んだ一部の大学関係者に「人文・社会科学系のいわゆる『文系』の学部はもう要らないのか? 」と、受け止められ、波紋を広げています。

 マスコミでも「大学を衰弱させる『文系廃止』通知の非」(日本経済新聞社説7月29日)、「文系男への逆風」(産経新聞産経抄7月20日)といったトーンで、報じられています。

 そもそもこの通知は、第三次中期目標・中期計画の策定にあたって、これまでのいくつかある規定路線を1つにまとめて、国立大学に対して確認的、事務的に通知する性格のもので、なにか新たな政策方針を打ち出すものではありません。ですから、文部科学省としては、特段、記者会見なども行っていませんし、省内で特別の会議を開いたわけでもなく、正直、予想外の報道ぶりと反響に、文部科学省内は大変困惑しているというのが実情です。

こうした報道を受け、私も改めて担当者を呼びましたが、確かに、このような表現をすれば、粗探し、揚げ足取り、曲解報道が常の一部のマスコミにまんまとハメられるのは当たり前、このようなマスコミの対応にまで思いがいたらなかったことは、コミュニケーターとして、もっと勉強が必要だと注意しました。その点は、率直に反省すべきだと思いますし、文部科学省の組織としてのコミュニケーションについての洞察、文章チェック力も組織として見直すべきだと思います。

 しかし、文部科学省内部には、後で詳述しますが、文系軽視や文系廃止との思いは全くなく、文部科学省の真意とは全く異なる「文系学部軽視」というメッセージがウォールストリートジャーナルにまで掲載され、世界中に報じられてしまっているのは、国益上も由々しきことだと、憂慮しています。先日、米国の大学の友人からも、もう国際的な共同研究はできなくなるのかと、心配されてしまいました。

一部のマスコミは、真実を伝えるよりもセンセーショナルに伝えることが常ですから、彼らのミスリードは相変わらずなので、想定内のこと。 むしろ今回は、動機はともあれ、世の中に文系の意義について再考、再認識していただくいい機会になりましたし、私が尊敬する佐和隆光滋賀大学学長はじめ日経教室などでの非常にすばらしいご主張を世の中に発するキッカケにもなったので、よかったとは思っています。

 しかし、アカデミアの皆さんがそうしたマスコミの論調に簡単にも騙されてしまうのは、本当に問題です。アカデミアの基本は、世の中に流れる印象論的な言説に対して、冷静に関連文書、一次資料にあたって検証するのが、基本中の基本であるべきところを、マスコミの流す言説を鵜呑みにしてしまったのです。科学者の基本である批判的思考はどこへいってしまったのでしょう。

 特に、日本学術会議幹事会が7月23日、「これからの大学のあり方-特に教員養成・人文社会科学系のあり方-に関する議論に寄せて」と題した声明文を発表し、文部科学省の対応を「教育における人文・社会科学の軽視」とまで断じたことについて、私は失望を禁じ得ません。

 私は、これまでも、永田町、霞ヶ関にあって、また産業界に対して、ライフワークとして、人文・社会系の学問・研究・教育の重要性、自然科学の発明やイノベーションを促進するにあたっても、人文・社会科学と自然科学が、バランスよく発展し、分野を越えて協働することが必要であると主張し続けて参りましただけに、後ろから撃たれた思いです。

 つまり、今回の日本学術会議は、人文・社会科学の専門家としてのいくつかの基本を欠いた対応と言わざるを得ないからです。我が国の人文・社会系の学術コミュニティが質を確保した主張を世の中に発する力に問題があることをも、露呈させてしまいました。

これまで文科省が
文系学部を「軽視」したことはない


 日本学術会議は「教育における人文・社会科学の軽視」と声明文に記載しています。財務省や産業界の一部にそうした声がある可能性は否定しませんが、文部科学省については、人文・社会科学を軽視する考えは全くありません。

 現に、今回の通知のなかで、先ほどのくだりの前の主文として、「『ミッション再定義』で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めること」という記載があります。

「ミッションの再定義」とは何かと言えば、国立大学の改革を進めていく中で、研究水準や教育成果、産学連携などの客観的データに基づいて、各大学の強みや特色、社会的役割を分野ごとに整理、つまり、将来的にどのような学部・研究科をつくっていくのかについて、文部科学省が国立大学と意思疎通を図りながらとりまとめたものです。もちろん、個別大学の組織のあり方も、それぞれの大学で再定義したミッションを踏まえて改革していくことになります。

「ミッション再定義」に関して、人文社会科学についてはどのように記述してあるのでしょうか。2014年6月に文部科学省が公表した文書において、「人文・社会科学、学際・特定分野は、人間の営みや様々な社会事象の省察、人間の精神生活の基盤の構築や質の向上、社会の価値観に対する省察や社会事象の正確な分析など重要な役割を担っている」と記載しております。そして具体的な改革の方向については、「全学的な機能強化の観点から、定員規模・組織の在り方の見直しを積極的に推進し、強み・特色を基にした教育・研究の質的充実、競争力強化を図る」としています。

 一般の読者の方でも、ここだけをお読みになれば、文部科学省は人文・社会科学系の学部の役割意義について、日本学術会議が言うところの「軽視」どころか、「重要な役割」と明記し、それどころか今後も充実強化を謳っていることがおわかりになると思います。

文部科学省全体にとって
人文学・社会科学の振興は重要課題


 さらに、文部科学省全体で見れば、それ以外にも、科学技術・学術審議会学術分科会では、様々な報告の中で人文学・社会科学の振興の重要性を数次に亘り説いており、こうした提言に基づき、科学研究費補助金や、「博士課程教育リーディングプログラム」や「課題設定による先導的人文・社会科学研究推進事業」などの支援により、その重要性に鑑み、国立大学における人文・社会系分野の教育研究の質的充実、競争力の強化を推進してきました。

 研究について、科学研究費補助金について言えば、科研費の配分を2010年度と14年度で比較すると、人文社会科学系の採択数は17.4%、配分額は10.7%増加しています。補助金全体の人文・社会科学系分野のシェアとしても、平成16年(国立大学の法人化時)と比して採択件数、配分額ともにそれぞれ1.4%増で、ここでも人文・社会科学系分野を軽視しているというエビデンスは全くありません。

 さらに、文部科学副大臣を拝命していた平成21年~23年の間に、「系・分野・分科・細目表」の改正を実施し、学術動向を踏まえるとともに、人文・社会科学系の応募者も応募しやすく、かつ、学術の多様性を確保し、可能な限り研究の裾野を広げるような区分となるように改正を実施してきました。

 さらに、人文社会系研究の強化のため、新規にも独立行政法人・日本学術振興会による「課題設定による先導的人文・社会科学研究推進事業」を開始しました。教育についても、文部科学省は、人文・社会科学系分野の教育研究活動の活性化を図るための極めて重要な取り組みとして「博士課程教育リーディングプログラム」を積極的に推進してきました。本プログラムは、人文・社会科学系の博士課程の学位プログラムを構築しようとする構想を支援すべく創設されたものであり、平成27年度予算において178億円を確保し、各国公私立大学で先進的な教育改革が進められています。

 このプログラムも、文部科学副大臣のときに主導したものであるという御縁もあって、今でも、多くの現場の取り組みを実際にこの目で確認してきましたが、これによって、人文・社会科学系の教育のレベルが徐々に上がってきたと思います。

 このように、文部科学省の取組をつぶさに観察してみれば、「人文・社会科学系分野」を軽視しているなどという主張にはつながるはずがないのです。

拡大解釈ではないか?
私立文系大学軽視を唱える学術会議


 さらに今回の学術会議は、今回の通知は、国立大学宛の通知であるにもかかわらず、私立大学を含む人文・社会科学系全体を文部科学省が軽視したと勝手に拡大解釈していますが、これもマスコミならばともかく、文系の研究者としてはお粗末です。

 つまり、学術会議の声明文の冒頭では、「わが国における人文・社会科学のゆくえ、並びに国公私立を問わず大学のあり方全般に及ぼす可能性について、日本学術会議としても重大な関心をもたざるをえない」とあります。しかし、今回の人文社会学系大学・学部見直しを通知したのは、あくまで国立大学が対象です。

 平成17年の中央教育審議会大学分科会の答申では、国立大学は、その役割として「世界最高水準の研究・教育の実施、計画的な人材養成等への対応、大規模な基礎研究や先導的・実験的な教育・研究の実施、社会経済的な観点からの需要は必ずしも多くはないが重要な学問分野の継承・発展、全国的な高等教育の機会均等の確保」を有しているとされ、一方で、私立大学は「それぞれの建学の精神に基づく個性豊かな教育研究活動を主体的に展開する」ことが役割とされています。

 こうした役割分担もあり、わが国の大学で人文社会学系は、私立大学のほうが充実してきた歴史的経緯があります。私立大学の学生数の国立大学の学生数に対する割合をみると、法学部で10倍、経済は6倍、経営・商学部は10倍、文学部は15倍、社会学は30倍。一方、理学部は7割、工学部・理工学部が1.2倍、医学部は0.5倍です。




「大学に文系は要らない」は本当か?
下村大臣通達に対する誤解を解く(下)

 DIAMOND online:鈴木寛 -  2015年8月17日
  

>>(上)より続く

 だからこそ、18歳人口減少やグローバル化、社会の成熟化を見越して、国立には国立にしかできない分野、強み、特色を元にして、教育・研究の強化をしてほしい、というのがもう1つの方向性なのです。つまり、我が国の文系については、ひきつづき、学部教育の中心は私立が担い、国立大学文系においては私立が担いづらい分野、たとえば、教育の高度化、修士博士課程の充実、研究力の飛躍的増進といったところにもっと特化して、国立・公立・私立が、その役割分担を明確にし、その上で、有機的連携を強化するというのが筋だと思いますし、通知はそうしたことを言っているのです。

 たとえば、教育などでも、発達障害に関する研究や、発達障害をはじめとする特別支援教育を行える人材の育成など、国立大学に期待される分野はいくつもあります。

 さらに言えば、国立大学の文系においてなかなか組織改革が進まない中、実は私立大学においては、通知が指摘しているところの「18歳人口の減少や人材需要等を踏まえた組織見直しを計画し、社会的要請の高い分野への積極的な対応」がかなり進み、様々な文系学部の再定義・再編が行われています。もちろん、そのなかには、奇を衒いすぎて、少し首をかしげるものもありますが、しかし私立大学が社会の動向、学生の志向を踏まえながら、大学の文系教育が担うべき分野や内容について不断の見直しを続けていることは事実です。

 これまでの私立大学の文系教育研究において果たしてきた役割と実績について、学術会議声明は全く眼中にないかのごとく、国立大学における文系組織の積極的見直しをなぜ文系全体の軽視に直結させて論じてしまうのか、理解できません。官尊民卑的思考枠組みが学術界にあるのかと疑ってみたくもなります。

そもそも文系学部の見直しは
「既定路線」だった


 おそらく、マスコミが「廃止」という文言に敏感に反応したことはやむを得ないことだと思います。

 この点は、以下のような事実を踏まえて表現すべきだとの反省は文部科学省にはありますが、しかし学術会議は声明文を作成する前に、基本的な事実や背景は確認しておくべきでしょう。文部科学省に聞いてくれれば済む話なのですから。現に、賢明な人文社会系の学者の何名かが、私のところに事実確認に来られて、よく理解されて帰られました。

 では、「組織の廃止」とは、何を指すのでしょうか。これは、教員養成系の学部・大学院のうち、特に「新課程」と呼ばれる教育学部の課程を廃止することを指します。「新課程」とは、昭和62年度から教員養成大学・学部の教員養成課程の一部を、教員以外の職業分野の人材などを養成することを目的に改組して設けられた課程を指しており、当時の教員の年齢構成などに鑑み、中長期的な教員需給の趨勢を考慮した上で組織を一定程度維持するためのバッファとして設けられたものです。

 当然、現下の18歳人口の趨勢や教員需給などに鑑みれば、新課程の役割はすでに歴史的使命を終え、教員養成系学部は、本来の学部の設置目的である教員養成に注力することが求められていることは容易に理解でき、この点については文部科学省と教員養成系学部の、綿密な意見交換の下に決定されています。そもそも、教員養成系学部のなかに、教員養成を目的としない課程が存在すること自体、論理矛盾であったのですが、これについて、この際、整理をしようということを通知は言っています。

 この「新課程」の廃止は、当事者(行政と大学側)ですでに合意されている内容です。しかもこれは、2013年12月に「ミッションの再定義」の教員養成分野の取りまとめは公表され、また2014年9月に発出された事務連絡においても、すでに既定路線として大学側に通知されていることからも明らかであり、このタイミングでメディアを中心とした批判的な論考が出てくること自体が、事態の背景や文献などを確認していない、当事者の困惑を生じさせることとなっています。

新課程を廃止した財源・定員で
新たな組織をつくってほしい


 このことは、教員養成系学部や教育学そのものを軽視するものでは、全くありません。現在、教員養成系学部の教員養成課程の定員1万0700名はきちんと維持します。

 新課程を廃止した財源・定員をもって、新たな組織をつくってくださいということです。新たな組織は、教育の高度化が求められる国立大学にあっては、学部ではなく修士課程の充実かもしれませんし、特に教員の修士化の促進が国際的に遅れているなかで、こうした大学院増員の財源に新課程廃止分を用いていただくことになるでしょう。もちろん、個別大学が最適と思う見直しを行っていただければいいのです。

 また、人間の成長や組織に関する学問は、その適用範囲は極めて広いです。家庭教育も社会教育も地域教育も社員企業教育も、生涯学習と広範な分野で応用可能です。であれば、そのような教育・発達・心理・組織についての原理・原則をしっかり学び、それを学校教育以外の分野にもしっかり応用・適用していく改革が強く望まれます。ですから、私立大学及び一部の国立大学では、従来の教育学部で様々な形での改編がすでに進んでいます。今回の通知は、そうした改編を国立大学においても加速していただくことを期待するものです。

 新課程以外についても、 ミッションを再定義した段階から、人文社会科学系の大学・学部をどのように見直していくのかについては、個別大学と文科省は協議を行い、すでに合意に達しております。この方針は、2012年以来の既定路線となっております。

大胆な実学志向を求める
産業界に侮られてしまう


 私は大学生も教えていますが、私のゼミで一次資料にほとんど当たっていないレポートや発表をしてきた学生には落第点を与えます。政策問題に不慣れな自然科学系の先生が報道の影響を受けてしまうとしたら、専門が違うので仕方ないかもしれませんが、メディアリテラシーや政策文書の理解を学生に教える立場にある人文社会系の関係者が、浅い理解に基づく反論、コメントをしているならば、遺憾に思います。

 それどころか、人文社会学に携わる者として、永田町、霞ヶ関でその重要性を認識して政策をつくり、産業界の皆様にもご理解をいただくように努めてきたつもりですが、私としては背後から不意打ちされたような気さえします。結局、「G型人材・L型人材」育成に象徴される、大胆な実学志向を求める産業界から侮られてしまい、それこそ「人文社会科学系の大学教員はこの程度」と軽視されてしまうのではないでしょうか。

 何度も言いますが、政治家や一部のマスコミならば、論理の飛躍に目をつぶって、ある種のポジショントークやレッテル貼りを戦術的に行うのは、「そういう性だから」と割り切れる余地もまだありますが、ファクトとロジックに基づいた学究の道に生きているアカデミアの関係者が、論理の飛躍をしていては、学生に模範を示せないのではないかと懸念します。

 百歩譲って、大学の自治性を脅かされるのではないかと懸念しているのかもしれません。しかし、そのことについても6月8日の大臣通知では、組織・業務見直しの前提として、「憲法で保障されている学問の自由や大学の自治の理念を踏まえ、国立大学の教育研究の特性への配慮や自主的・自律的な運営の確保の必要性等の観点に十分留意する必要がある」と明記しています。

 では、学術会議はどのような声明を出すべきだったのでしょうか?

 文系を重視するかしないかという認識論についての水かけ論を文部科学省と繰り広げることは、なんら生産的ではありません。むしろ、現在の文系教育において長年、文部科学省も含めて放置してきた課題をしっかり指摘し、その改善を迫るべきです。

教員と学生の比率(ST比)を重視せよ
文系学部への注目はある意味チャンス


 そうした観点で、私が非常に重要視している指標があります。それは教員と学生の比率(ST比:Student-Teacher-Ratio)です。教育も、一種の社会サービスですので、教員がどれだけ一人ひとりの学生の教育研究を熱心に支援できるかという点は、非常に重要です。その意味で、たとえば私立文系に見られがちな、大教室でたった1人の教授が100名を超える学生の前で授業を行うという姿は、高等教育機関として望ましいものではありません。

 ゼミや研究会のように、担当の教員が一人ひとりの弱点や個性を把握しながら教育していくという姿が理想なのです。有力大学の法学部では、いまだにゼミに入れない学生が存在しています。本来は1年生からの少人数指導が強く望まれます。

 国際比較をしても、米国アイビーリーグの大学と日本の文系大学のST比は彼我の差があります。もちろん、授業料もアイビーリーグの授業料は日本の国立の10倍以上です。奨学金制度も充実しています。個人も社会も国家も、教育の質を決定する高いST比を支えているのです。

 人文・社会科学系のST比は、国立大学全体で見ても15~20と言われており、理工学系や医学系(3~10)と比べても劣った水準に留まっています。だからこそ、日本の理系の教育と研究は国際的にも伍していけるのです(たとえば、論文引用数で東大の物理は世界で3位、京大の化学は4位、阪大の免疫は4位、東北大学の材料工学は5位。一方、日本の文系で100位に入る学部学科は存在しません)。

 ST比が改善されれば、教員が研究に割ける時間やエネルギーも増え、間接的に研究力の向上にもつながります。また、研究力強化で言えば、今民間や官庁に取られてしまっている若い優秀な人材が、今後はもっと研究職を選んでくれるためにボトルネックになっている課題をしっかり指摘すべきです。その最たるものは、若手研究者のポストの確保です。これもST比の改善と直結する話です。

 こうした劣悪な文系教育の惨状が放置されていることこそ、この際、学術会議は本格的に問題提起し、その改善とそのための負担論について、議論の素材と筋道を提示すべきではないでしょうか。

 今回の件で、人文・社会科学系分野の在り方に関心が集まりました。このチャンスを利用し、教育研究の高度化を図るためにも、当事者である国立大学の関係者はもちろんのこと、教育問題を取材する報道関係者、そして国民の皆様にも客観的な資料に基づき、建設的な熟議が深まることを期待したいと思います。

 (なんと長いばかりで中身の無い言い訳であることか・・・) 



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