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【阪神大震災から19年】 有楽町火災で 新幹線が品川駅で折り返し運転できなかった訳 (日経)

2014年1月17日(金)

 今日の日経新聞(Web版)では、有料購読ではない読者も読める記事で
下記の注目するべき記事が掲載されていました。

有楽町火災で露呈 新幹線品川折り返し増やせぬ理由
 (日本経済新聞)− 2014/1/17 6:00

 長いので、引用省略。 リンクからお読みください。




 私は、1月3日付けの、このブログ に以下のように書きました。
【3時間ほど経過した9:30頃になっても新幹線は再開の目処は立っていないらしい。
 素人考えだが、品川駅で折り返し運転すれば、東京駅から品川駅は地下鉄や私鉄で
代替え運転できるだろうに、何故そうしないのだろうと、その時思っていた。
 品川駅の前後には折り返しできるような『ポイント』が無いのだろうか?】


 この「日経新聞記事」を読んで、一部理解できました。

 すなわち、品川では臨時的に対応できる程度の対応はあるが、震災や災害で
東京折り返し便の代替え折り返し運転をするよう想定された設計にはなって
いない、とのことです。
 

 今回の沿線の火災と云う事故の規模を考えると、
大震災の時は完全に麻痺することが解ります。

 品川だけではなく、全ての駅で折り返し運転ができるようにしておけば、
日本の背骨全部が麻痺する事態だけは免れるのではないでしょうか?


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有楽町火災で露呈 新幹線品川折り返し増やせぬ理由
 (日本経済新聞)− 2014/1/17 6:00
 

 1月3日、JR有楽町駅近くで発生した火災の影響で、東海道新幹線のダイヤが大きく乱れた。遅れは最大で約5時間半。Uターンラッシュと重なり、駅は大混乱に陥った。火災現場は東京駅と品川駅の間に位置する。それなら品川駅で折り返すことはできなかったのか。災害時には東京駅の代替ターミナルになると期待されていた品川駅は、なぜ機能しなかったのか。

■品川駅は大量の折り返しを想定していない

 火災が発生したのは午前6時30分ごろ。JR東海は午前6時36分ごろから東海道新幹線の運転を見合わせた。正午前に運転を再開したものの、遅れは終日続いた。夜になっても遅れは2時間を超えたという。上下線で91本が運休、15本が区間運休となり、遅れは238本に及んだ。

 火災現場となった有楽町駅は、東京駅のすぐ隣にある駅だ。新大阪駅方面からの上り列車の場合、品川駅までは火災の影響を受けないはず。それなのになぜ、これほど運休が多かったのか。遅れが長引いたのか。

 JR東海は午前10時過ぎから、品川駅での折り返し運転を始めている。合計で7本の臨時列車を走らせた。ただし1時間に2本のペースにとどまり、1時間に10〜13本というダイヤをこなすには力不足だった。品川での折り返しがもっと多ければ……。そう思った人は多いだろう。


東海道新幹線品川駅の配線略図。上が東京方面。左側が東京に向かう上り線、右が下り線。塗りつぶされているのがホームで、その上に留置線が3線あるのがわかる(JR東海編「東海道新幹線のあゆみ」から抜粋)
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東海道新幹線品川駅の配線略図。上が東京方面。左側が東京に向かう上り線、右が下り線。塗りつぶされているのがホームで、その上に留置線が3線あるのがわかる(JR東海編「東海道新幹線のあゆみ」から抜粋)

 しかし、品川駅は東京駅のように大量の折り返し運転を前提として設計されていない。東京駅の代替ではなく、補完することを目的に造られているのだ。

 まずは品川駅の構造を詳しく見てみよう。

 JR東海が編さんした「東海道新幹線のあゆみ」に品川駅の配線図が詳しく載っている。品川駅には上下2つのホームがあり、最大4本の列車が発着できる。列車を待機させたり折り返したりする際に必要となる留置線(折り返し線)は3線あるが、折り返し作業に使えるのは2線のみとなっている。

 これに対して東京駅は、3つのホームに6本の列車が発着できる。折り返しも6線すべてで可能だ。この差が折り返し能力の差として表れた。 




阪神大震災から19年 神戸市で追悼のつどい
 (朝日新聞) - 2014年1月17日(金)06:12


「忘れない」心に刻む=各地で追悼、冥福祈る―阪神大震災19年・兵庫
 (時事通信) - 2014年1月17日(金)12:37
 

 死者6434人、負傷者4万3792人(兵庫県発表)を出した1995年1月の阪神大震災は17日、発生から19年を迎えた。地震発生時刻の午前5時46分には、各地で多くの人が黙とうをささげ、犠牲者の冥福を祈った。

 神戸市中央区の東遊園地では、市民団体などが「阪神淡路大震災1.17のつどい」を開催。竹灯籠を並べ、遺族らが手を合わせた。

 県などは同区の「人と未来防災センター」慰霊モニュメント前で、追悼式典を行った。正午に黙とうし、井戸敏三知事が「1.17は忘れない、この言葉を改めて心に刻む。防災・減災社会を構築することこそ、震災を経験した私たちの責務」とあいさつ。式典には2011年3月の東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県名取市・閖上地区の住民らも招いた。

 会場では東京電力福島第1原発事故などで兵庫県内に避難している被災者の交流・相談ブースを設置。宮城県内の被災地に派遣された兵庫県職員らが復興状況を報告するコーナーも設けた。NPOなどによる東北の物産展や観光PRも行われ、東北への応援メッセージも募集した。 


阪神大震災:被災地「1・17」も「3・11」も忘れない
 (毎日新聞) − 2014年1月17日(金)22:43
 

 阪神大震災から19年を迎えた被災地では、17日午後も犠牲となった6434人を追悼する行事が各地であった。東日本大震災の被災者も東北から訪れ、二つの震災の犠牲者に追悼の祈りを重ねた。

 神戸市中央区の東遊園地を会場とした「阪神淡路大震災1・17のつどい」は午後も引き続き営まれた。東日本大震災が起きた午後2時46分には、「1・17」の形の竹灯籠(とうろう)の近くで、「3・11」の形に並べた竹灯籠約250本に火がともされた。被害の大きい東北各県からも遺族が訪れ、被災地の復興を願いながら黙とうをささげた。

 津波で伯母が犠牲になり、現在も仮設住宅で暮らす岩手県大船渡市の市立大船渡中1年、及川真子さん(13)は「19年でこんなに復興したことにびっくりした。いつか東北も、東北らしい形で復興できればいい」。宮城県名取市の水道業、長沼俊幸さん(51)は「『風化させまい』という神戸の意識の高さを見習いたい」と決意を新たにしていた。午後9時までに会場を訪れた遺族や市民らは約4万3000人になった。

 921人が犠牲となった神戸市長田区の新長田駅前でも追悼行事が開かれ、発生から半日後の午後5時46分に全員で黙とう。母を亡くした同区の主婦、西村芳子さん(74)は「とても元気な母と時に言い合いになったことも今では懐かしく、19年が過ぎても悲しみが薄れることはない。若い人たちが震災を忘れず、語り継いでくれていることがうれしい」と話した。【渡辺暢、豊田将志】  



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