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潘基文氏・国連事務総長として初めての 被爆地・長崎訪問

2010年8月5日(木)

 被爆65年に向けて日本を訪問中の潘基文国連事務総長が、
本日朝から長崎の原爆資料館など原爆犠牲者関連施設を訪問し、
被爆者と対話された。

 歴代・国連事務総長で、被爆地を訪れるのは初めてという。
昨年(2009年)4月のオバマ米国大統領・プラハ演説が流れを変えたという説明が、NHKを始め、幾つかのマスメディアで行われていた。


    8月 5日 長崎原爆資料館の展示室を視察し、
    被爆者に声を掛ける潘事務総長【時事通信社】

 Asahi.com の速報による 潘基文国連事務総長 の 長崎演説 
 の骨子は下記の通り。

「核兵器ない世界実現できる」
  潘国連総長、長崎で演説

      Asahi.com 2010年8月5日(木)13:21

 来日中の潘基文(パン・ギムン)・国連事務総長は5日、被爆地の長崎市を訪れた。米国による原爆投下から65年がたつが、国連事務総長の同市訪問はこれが初めてだ。「核なき世界」を求める機運が世界的に高まる中で、国連トップとして爆心地に立ち、「核兵器が二度と使われないことを確実にする唯一の方法はすべてを廃絶することです」と演説した。

 演説は英語だったが、日本語でも「私は世界平和のために参りました」と話した。「私は長崎市民と連帯するために来ました」とも表明。「強い確信と信念で立ち向かっていけば核兵器のない世界は実現できると思います」と締めくくった。

 その後、記者会見した潘氏は「長崎を訪問し、さらに決意が深まった。力を尽くして核兵器のない世界を実現したい」と述べた。

 潘氏は外務省の招きで3日に来日した。5日午後にはもう一つの被爆地である広島市に向かい、6日の広島原爆の日に開かれる平和記念式に国連事務総長として初めて参列する。

 潘氏は2008年に核兵器禁止条約への支持を表明するなど、核廃絶に積極的な姿勢を示してきた。来日前には、被爆地訪問を「世界的な核軍縮が緊急に必要だという認識を提起する」と位置づけ、「被爆者が生きている間に核廃絶を見られるよう、時間枠(目標期限)を設けて活動するべきだ」と述べた。

「核兵器ない世界実現できる」 潘国連総長、長崎で演説(朝日新聞) - goo ニュース 

 
 
 長崎市の原爆落下中心地(爆心地)の前で、
 核廃絶へのメッセージを発表する潘基文国連事務総長。
 「強い確信と信念を持って立ち向かえば、核兵器のない
  世界を実現できる」(5日午後、長崎市)
       【時事通信社】 8月 5日(木) 14時52分

「長崎の誓い」信じる 「すごい人 仲間だ」
  市民ら、スピーチに希望 国連総長初訪問

      西日本新聞 2010年8月6日(金)10:30

 長崎市を訪れた国連の潘基文(バンキムン)事務総長が5日、スピーチに立った原爆落下中心地碑前。65年前の夏、その500メートル上空ですさまじい閃光(せんこう)がさく裂した。「ここは、惨劇をどんな人にも、どんな場所にも許さない私たちの決意の記念碑」。いま人々が平和の祈りをささげるその場所で、潘事務総長は重い誓いを立てた。「信じたい。いや信じる」−。あの日のような暑さの中、被爆者たちは、じっと耳を澄ました。

 国連旗を持った多くの市民に出迎えられた潘事務総長。中心地碑への献花の後、黙々と一礼。「私は世界平和のために来ました」と、日本語で静かに語りかけた。

 「各国のリーダーと連携して核廃絶を目指したいと心の底から訴えていた。すごい人だが、市民との垣根は低い。核廃絶を目指す仲間に見えた」。長崎市の被爆者、吉田勲さん(69)は、国連トップに親しみを覚えた。

 昨年訪米して国連本部で被爆体験を語った長崎市の城臺美彌子(じょうだいみやこ)さん(71)は「そのときは、事務総長が被爆地に来るとは予想もしていなかった。在任中に核廃絶の姿勢を示したことに感動した」。当時買った国連のロゴ入りTシャツを、この日は孫3人が着て事務総長に手を振った。

 演説の最後に「核兵器のない世界を目指して一緒に頑張っていきましょう」と呼び掛けた潘事務総長。高校生平和大使で今月下旬にスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪れる猶興館高校2年、松永千幸さん(17)=長崎県平戸市=は「核兵器のない世界をつくるという言葉を聞いて希望がわいた。平和を願う気持ちと被爆者の思いを、国連で伝えたいとあらためて感じた」と力を込めた。

 広島市から長崎県佐世保市に家族で帰郷した主婦荻原美香さん(38)は「小学6年の娘と平和学習で訪れたが、核兵器は広島と長崎だけの問題じゃない。事務総長の長崎訪問が、日本や世界全体で核廃絶を考えるきっかけになってほしい」。

 大阪の大学からツアーで訪れた台湾出身の陳弘茂さん(22)は「原爆の悲惨な歴史を知り、日本だけの問題だと考えずに学んでいきたい」と誓った。

■「あの場所」で…万感の涙 爆心地唯一の生存者黒川さん 見守る

 国連の潘基文事務総長が5日、核廃絶を誓った長崎市松山町の中心地碑前。65年前の8月9日、そこは、すべてが焼き尽くされた地獄だった。演説の場所から約120メートルの防空壕(ごう)で被爆、同町でただ一人の生存者とされる黒川幸子さん(74)=千葉県松戸市=は、潘事務総長の演説を聞き「地獄だったからこそ、平和を誓う場所になれた」と涙を流した。

 あの日、黒川さんは9歳。防空壕の中で気が付くと、妹2人は傍らで息絶えていた。夕方、近郊の工場で難を逃れ、迎えに来た父の背中から見たのは、黒焦げの死体の山と、皮膚が垂れたまま歩く人々。自宅にいた母と兄は遺体で見つかった。

 「あの場所」で何を語るのか−。黒川さんは5日、自宅のテレビで潘事務総長を見つめた。犠牲者を悼む言葉が、素直にうれしかった。そして「哀悼の気持ちが、平和を求める原動力になっている」と思った。

 黒川さんはこれまで「被爆体験を話してもしょうがない」との思いから、経験を語ることはほとんどなかった。しかし、70代半ばになり「生き残った自分の使命」を意識するようになった。

 今年5月、黒川さんは長崎市を訪れ、初めて爆心地、防空壕跡、父の工場跡などを確認して回った。爆心地では修学旅行の子どもたちが平和を祈る姿に涙があふれた。そして、潘事務総長が発したメッセージに「『伝えないといけない』と思い始めていた私を、勇気づけてくれた」という。

 今は3人の子どもと3人の孫に恵まれる。「次の世代にむけて何ができるのか考えたい」。あらためて思いを強くしている。

=2010/08/06付 西日本新聞朝刊=  


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潘事務総長「核廃絶が唯一の道」 長崎初訪問 

      共同通信 2010年8月5日(木)13:10

 来日中の国連の潘基文事務総長(66)は5日午前、9日の長崎原爆の日を前に、現職の国連事務総長として初めて被爆地の長崎を訪問した。

 爆心地で献花、スピーチし「このような兵器が二度と使われないようにする唯一の道は、すべてを廃絶することだ」と述べ、被爆者の高齢化を踏まえ「核兵器なき世界」を一日も早く実現する必要性を世界に訴えた。
 



国連総長が長崎初訪問
 =被爆地から平和のメッセージ
 

      時事通信 2010年8月5日(木)08:03

 原爆投下65年に合わせて来日中の潘基文国連事務総長は5日、被爆地の長崎市を訪問した。国連事務総長が同市を訪れるのは初めて。潘事務総長は、爆心地で献花し、世界に向けて平和へのメッセージを発表する。

 潘事務総長は午前、長崎原爆資料館の展示室を視察。同資料館内で長崎原爆被災者協議会の谷口稜曄会長(81)ら被爆者6人と面談した。

 メッセージ発表後、午後には、原爆で破壊され頭部だけが残った「被爆マリア像」のある浦上天主堂を訪れる。 
 



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昨日の運動
 帰路にある、ショッピングモールを速足で歩行 他
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