翁長知事の急逝により実施時期が数ヶ月早まった沖縄県知事選で
オール沖縄を代表する県知事候補が漸く 玉城デニー さんに決まった!
これで、オール沖縄 vs アメリカの代理人たる自民・公明強権派との
闘いの構図が決まった!
是非とも【オール沖縄】のアイデンティティが、米国第一主義イデオロギーに
勝利して欲しいと強く願うし応援したい!




(部分引用)
27行政機関全体で3460人だから、毎月1億7300万円、年間20億7600万円にのぼる。過去にさかのぼれば、どれだけの“罰金”が累積しているか分からない。
自宅に迎えてくれた東大名誉教授の坂野潤治さん(81)に、笑顔でくぎを刺された。「しゃべり出したら止まらないもので」。80歳を超えてなお史料を博捜し、著作を刊行し続ける碩学(せきがく)は、厳しい論評を加えてきた安倍晋三政権について語り始める。
▽特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 平成最後の夏に… 歴史学者・坂野潤治さん
https://l.mainichi.jp/OzMj8Qe
<担当記者から(井田純)>
戦時体制を推進したはずの大政翼賛会ですら、開戦直前まで対米戦と無関係な議論を続けていたことが、当時の史料から分かるそうです。国民の大多数にはっきりした自覚も意思もないまま戦争に突入してしまった状況が「目の前の現実と重なる」という坂野潤治さんの指摘をかみ締めている夏です。
来月の自民党総裁選挙を前に、安倍総理大臣は視察先の鹿児島県で
「『平成』の、その先の時代に向けて、新たな国造りを進めていく、
その先頭に立つ決意だ」と述べ、
3選を目指して立候補する考えを正式に表明しました。
自民党の総裁選挙が来月告示されるのを前に、安倍総理大臣は福井市で開かれた会合で講演し、生活保護世帯や一人親世帯の子どもの進学率が上昇したことなどに触れ、「『安倍政権で格差が広がった』というのは誤りだ」と指摘したうえで、引き続き格差の是正に取り組む考えを強調しました。
10時30分開始
立石さん 大野城市より
配布資料あり
1941年 の時点で八幡市の國民学校四年生。
綴り方で、12月8日の開戦を喜ぶ文を書き10点満点を貰うような
軍国少年であった。
六年生の時は先生の指示で「不自由を常と思えば不足なし」と書いた。
1944年6月16日北九州大空襲。
日本で初めてB29による空襲だった。
久留米の祖父宅に疎開。
1945年6月16日、久留米大空襲。
八幡に続いて久留米でも大空襲に遭遇する羽目に。
8月15日戦争が終わって八幡に戻って見たが壊滅状態。
(当時の母親の苦労を語る時、今も涙する)
母は食糧管理法違反で逮捕されたが子ども達には伝えられず、
「何故、母が帰って来ないのか」と不安の一夜。
辛い日々が続き、自殺も考えたが実行できなかった。
1949年11月に18歳で福岡高裁に入所。
その場で全司法労組に加入。
以後、45年間全司法の中で多くを学び、活動した。
戦争は人間が引き起こすもの。
戦争に反対し、平和を願う人間の一人ひとりの声と、
そのための努力を結集することによって
戦争のない平和な世界は実現できることを、
私は信じています。
立石
川添久子 中国残留孤児の1人。
二回も言葉の壁を乗り越えなければならないのでしょうか?
私は日本人で佐賀県生まれ。
家族はハルビンに開拓団として入植し
黒竜江省で生活。
父も昭和20年8月9日、ソ連参戦とか全く知らなかったが、
朝から晩まで空襲が続いた。
岷江の背後にあった原始林に避難し、逃げた。
母は、「塩を持って来なかった」と後悔し、
今度またこのような時があったら塩を忘れないように言った。
私は、またこのようなことは嫌よ!
ソ連兵に遭遇し収容所に入れられた。
母は、其処で妹を産んで亡くなった。
冬はマイナス40度にもなるが暖房も寝具も無い。
父は元勤めて居たハルビン の郵便局を頼って行くと、
お世話をして貰えた。
父は、お金を作るために飲まず食わずで働きづめで
10月10日に亡くなった。
その日から私は孤児になりました。
父は亡くなる 直前友人の中国人に私のことを頼んで居た。
その夜、5人ほどの中国人が来て助けてくれた。
養父は、単身赴任でハルビンに来て居た。
男で1つで私を育ててくれた。
養父は日本語ができたので家に中では日本語で話して居たが、
養父は学校に行って中国語の勉強が始まった。
その時、私は9歳。
商店街に行って解らない漢字をメモして来て養父に教えて貰った。
養父は私に辞書と小説を買ってくれ、それを勉強した。
1949年に新中国が誕生し、夜間学校に通った。
ある日、日本人であることを知られイジメられた。
1951年、養父の故郷に帰った。
その時、初めて養母に会った。
養母を「お母さん」と呼べないことを父は怒った。
私がお前の命を救ったのは、私たちの老後を見てもらうためでは無い。
お前が成長して社会の役に立つ人間になると考えたからだ、
と言いました。
養母が雪まみれになって私を迎えに来てくれたのを見て
「ママ、ママ、ママ!」と叫びました。
全科目優秀で卒業できました。
19歳で、教師になりました。
多くの生徒は貧しく靴も靴下も無い子ども達。
1961年、山東省は教師のレベル向上のため教師研修学校を設けたので、
応募し合格。四年間勉強した。
1964年の文化大革命の犠牲になり、夫は農村に下放。
人民代表大会副委員長になりました。三期続けた。
48年間帰国を待って居た。
日本の戸籍は戦時死亡となって居た。
佐賀県に身元保証人を募集してくださいとお願いしたら
佐賀県基山の森山さんと言う方が娘同様に扱ってくれた。
森山さん亡くなった娘さんが私と同い年だった。
帰国して一年後、孫の学校の教材を見た。
再研修生を募集と言う話があり、応募した。
61歳の私が若い人々と一緒に日本語の勉強。
日本語は中国語より壁が高い!
2年間の再研修学校での勉強で大幅に向上した。
日本語のレベルが上がるにつれて交流も増えて来た。
日中友好協会にも参加した。
18人の残留孤児が体験記を書き、本に成りました。
最初は中国語で出版。
その後、日本語版も2500部作成し直ぐに売り切れ500部増刷。
中国には『笑ったら若くなる』と言う諺がある。
しかし、笑えない人もいる。
残留夫人たちは帰国できず中国で家族と生活している。
国民年金は2万円も無い。
二世の生活はもっと大変。
日本の壁は もっと高くて死ぬまで挑み続けなければならない。
今85歳だが、75年のことを30分くらいで話すのは難しい。
テーマ:軍事・安全保障・国防・戦争 - ジャンル:政治・経済
テーマ:軍事・安全保障・国防・戦争 - ジャンル:政治・経済
今年で終結43年を迎えたベトナム戦争。米軍の枯れ葉剤作戦では散布地でがんや子どもの先天性障害が多発し、今も被害に苦しむ人がいる。この枯れ葉剤の主要成分となる除草剤が、福岡、佐賀県境のダム近くの山林に埋設されているという情報が、特命取材班に届いた。猛毒のダイオキシンを含むという。環境への影響はないのか。現地に向かった。
「7月の西日本豪雨で、周囲に流出していないか、心配です」
情報を提供してくれたのは、北九州市立大国際環境工学部職員、原田和明さん(58)=北九州市小倉北区=だ。大手化学メーカー出身で枯れ葉剤の研究をライフワークにし、6年前には著書「真相 日本の枯葉剤」も出している。
一緒に福岡、佐賀県境にある埋設地に向かった。福岡県那珂川町から佐賀県吉野ケ里町に入り、坂本峠付近の林道を歩く。国有林の一角に突然、緑のフェンスで囲われた区域が現れた。傍らに看板が立つ。
《立ち入り禁止 2・4・5-T剤を埋没してありますので囲い内の立ち入りや土石等の採取をしないで下さい》
原田さんによると、2・4・5-T剤(245T)は、化学物質「2・4-D」と混合することで枯れ葉剤になる。不純物として含まれるダイオキシンには奇形を生じさせる強い毒性があるという。
吉野ケ里町に埋設されている量は945キログラム。数メートル先には九州自然歩道の散策路があり、ウオーキング愛好家も通る。約1キロ北東には、水道用水の確保などを目的にした福岡県営五ケ山ダムが完成したばかりだ。
「245Tが地中でどうなっているか。掘り返さないと分かりませんよ」。原田さんは警告する。
なぜ、245Tが埋められたのか。調べてみると、埋設地はここだけではなかった。その数、九州だけで20カ所以上-。
◇ ◇
■くすぶる不安、専門家「漏出も」
ベトナム戦争で米軍が使った枯れ葉剤の成分の一つで、全国の山林に埋められている除草剤「2・4・5-T剤」(245T)。国有林を管理する林野庁によると埋設地は一時、54カ所に上ったという。福岡県を除く九州6県21カ所を含む。なぜ、有害な化学薬品を地中に埋めることになったのか。担当者は言う。「毒性が疑われる前は農薬として使っていたんです」
説明によると、林野庁は1960年代後半、スギなどの成長を阻む雑草を枯らすため、245Tを国有林に散布した。その後、奇形を生じさせる恐れがあるとして海外で問題になったため、71年4月に使用中止を決定。他の農薬の処分方法を参考に、同11月に地中に埋設するように全国の営林署に指示した。
同庁に残る資料には、全国54カ所の埋設地が記されている。総量は固形状で約2万5千キログラム、液体状で約1830リットル。うち8カ所は「埋設地が民有地だった」などの理由で撤去したが、残る46カ所(九州5県19カ所)はそのままだ。
■
もっとも、林野庁が245Tを使用・埋設した時期はベトナム戦争と重なる。枯れ葉剤研究を続ける北九州市立大職員の原田和明さんは別の見方を示す。「日本で造られた245Tが輸出され、米軍の枯れ葉剤に転用されていたのでは」
原田さんが注目するのは、69年の衆院外務委員会の会議録だ。「国会の爆弾男」と称された楢崎弥之助・元衆院議員=福岡県選出=が、同県大牟田市の工場で造られる245Tを挙げ、「日本の工場で枯れ葉作戦に使われる化学兵器がつくられているんじゃないか」と追及している。政府側から明確な答弁はなかった。
「ベトナム戦争で米軍が枯れ葉剤の使用を中止したことで、国策で製造していた245Tの在庫がだぶつき、国有林に埋めたのでしょう」と原田さんは言う。
林野庁はベトナム戦争との関連について「記録がなくて分からない」という。
◇ ◇
地中の245Tの安全性に問題はないのか。
林野庁は廃棄に際し、除草剤の10倍程度に当たる量の土と混ぜ、セメントで固めてコンクリート塊にし、水源から離れた地中に1カ所300キログラム以内の分量で埋めるように通達を出した。
実際には特命取材班が赴いた福岡、佐賀県境の同県吉野ケ里町も含め、通達の分量を上回るケースが目立つ。84年に問題化して再調査したが、環境への影響がないと確認したという。
「通達に反する大量投棄は事実だが、245Tは長期間、安定状態にあり、誰かが掘り返さない限り地中で動く可能性は考えにくい」と担当者。同庁は年2回の定期点検や災害発生後の臨時点検をしており、吉野ケ里町の埋設地についても、7月の西日本豪雨の後に異常がないことを確認したという。
ただ、点検は現地を目視するだけだ。地中のコンクリート塊について、岡山大の阪田憲次名誉教授(コンクリート工学)は「コンクリートは引っ張る力に弱く、水を通す性質がある。地中で亀裂が入ったり、土の中の有機物と化学変化を起こして劣化したりする可能性がある。雨水が染み込んで有害物質が周辺に出る恐れもある」と指摘する。
地元にも不安はくすぶる。吉野ケ里町や、五ケ山ダム下流域の福岡市など周辺自治体は毎年、245Tの撤去を求める要望書を林野庁に出している。同市はダムや周辺河川の水質検査を続けており、異常はないというが、市担当者は「絶対に流出しないという確証はない」と漏らす。
ダイオキシンに詳しい長山淳哉・元九州大准教授(環境科学)は「ダイオキシンの有害性は長年にわたって残り、分解する微生物も自然環境にほとんどいない。周囲に流出し、食物連鎖を通じて濃縮されれば、人間の健康被害につながりかねない。早急に地中を掘り起こし、調査するべきだ」としている。
=2018/08/23付 西日本新聞朝刊=
テーマ:軍事・安全保障・国防・戦争 - ジャンル:政治・経済
Author:JUNSKY blog
憲法9条をまもりたい!
非正規労働をなくしたい!
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