JUNSKY blog 2017

政治関連・社会問題などについて書いてゆきます!

NHK 憲法特集番組 の続き 若干の揺り戻しが?!

2017年5月6日(土)

このところ結構頑張っていたNHK でしたが、
今日の番組は若干改憲派からの揺り戻しが働いた?
ように見えました。

三島由紀夫事件(クーデター未遂事件)に触発された右派若手(当時)の
改憲派団体が日本会議に繋がっている事を紹介し、今は高齢者となった
当時の『論客』や、中曽根康弘などを登場させて語らせていました!

一昨年の、戦争法に反対する運動や、その中の若者の発言も
取り上げてはいましたが、申し訳程度の取り上げ様でした!

先週は、平和条項が幣原喜重郎など日本側からの提案だった
ことを明らかにしましたが・・・

【「憲法70年」 “平和国家”はこうして生まれた】
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586919/

日本国憲法の施行から70年。平和主義の出発点が新たな資料で明らかになった。昭和20年9月、昭和天皇は勅語で平和国家の確立を明らかにした。しかし、GHQ草案の条文には平和の文字はなかった。その後、衆議院の小委員会で鈴木義男議員の発言を機に議論があり「国際平和を誠実に希求」する条文が第九条に盛り込まれたことが明らかになった。番組では速記録をもとに小委員会をドラマで再現。“平和国家”誕生の舞台裏に迫る。



今日は、その続編でしたが、方向性は全然違いました!
【日本国憲法 70年の潮流 ~その時、人々は~】
2017年5月6日(土) 午後9時00分~9時58分
http://www6.nhk.or.jp/special/sp/detail/index.html?aid=20170506

2017年5月3日、日本は現行憲法の施行から70年という節目を迎える。去年の参議院選挙の結果、改正に前向きな勢力が衆参両院で3分の2をこえ、国会で憲法改正発議が可能な態勢が整った。一方で、今年3月のNHKの世論調査では、憲法を「改正する必要がある」と答えた人が27%、「改正する必要はない」と答えた人が28%、「どちらとも言えない」と答えた人が35%だった。他の世論調査でも、施行から10年以降は「護憲」が「改憲」を上回っているが、2000年代に入ると拮抗あるいは「改憲」が上回る年が増えている。
番組では、世論調査の変遷を軸に、独自に入手した資料や関係者の証言などから、この70年間、日本人がどのように憲法と向き合ってきたのかたどっていく。




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憲法記念日の集い 【壊すな憲法 活かそう九条】

2017年5月4日(木)

昨日午後1時30分から福岡市東区の 「なみきスクエア」で開催された
【憲法記念日の集い 壊すな憲法 活かそう九条】
に私も参加して聴いていました!

開会の挨拶をされる石村善二さん(90)

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第一部は「平和音楽会」九州交響楽団・弦楽四重奏団がよく知られた
クラシックとアニメソングや、古くから愛唱される童謡などを演奏!

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第二部は、イラクで人道支援活動を行なっている高遠菜穂子さん
(イラク支援ボランティア・エイドワーカー)の講演会
【イラクから見る日本〜暴力の連鎖の中で考える平和憲法】
でした。

高遠さんは一昨日イラクから帰国し、昨日は富山で講演をし
先ほど福岡に駆けつけていただいたとの事。

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その模様を後藤冨和弁護士の facebook が詳しく紹介しています!

いつものことながら、後藤弁護士のリアルタイム入力には恐れ入ります。
それもiPadか何か、キーボードの無いタブレットで⁉️...

後藤弁護士のリアルタイム記録

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イラクで高遠さんは、イラク戦争最中に最初の人質として仲間3名と捉えられ
日本政府が「自己責任論」マスメディアに振り撒いて救出に全力を尽くさず、
危うく犠牲になる所だった方です。

その後は、後藤さんを始め数名がテロリストにネットに公開する残虐な方法で
殺害されています!

そう言う命懸けの難民医療支援活動の一端を紹介されたあと、本題の
日本国憲法 の重要な理念についての国際的評価と、安倍晋三 などによる
憲法を無視した米軍などへの軍事支援によって、日本への評価が
急激に低下している様子が実感を持って語られました。

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憲法9条の平和条項は日本人の叡知で入れられた!

2017年5月3日(水)


 この話しは、4月30日のNHK-TVで紹介されたが、
今日の西日本新聞の記事でも大きく取り上げられていました!

‪NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル
「憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586919/‬

 日本国憲法の施行から70年を迎える。今、新たな資料の公開で憲法誕生の知られざる舞台裏が明らかになりつつある。
 たとえば「昭和天皇実録」などの公開で浮かび上がった新事実。それは昭和天皇が敗戦直後の昭和20年9月4日、勅語で「平和国家の確立」を明らかにし、憲法改正の調査を命じていたことである。
 さらに幣原喜重郎首相が戦争放棄をマッカーサーに提唱。GHQは戦力不保持の草案を作成する。しかし、GHQ草案の条文に「平和」の文字はなかった。では、どこから来たのかー。
 番組では、近年、発掘された新たな資料をもとに、日本国憲法が誕生していく1年8か月を描く。 



【関連記事】

‪憲法:施行70年 改憲勢力、架空の多数 
日本共産党前議長・不破哲三氏(87)
毎日新聞 ー 2017年5月3日(憲法記念日)
https://mainichi.jp/articles/20170503/ddm/010/010/033000c‬


以下、本日付の西日本新聞より

‪日本人が求めた「平和」 憲法3日施行70年 ‬
‪国会、GHQ案に追加 近年公開の資料で判明 ‬
‪https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/325829 ‬
‪#西日本新聞 ー 2017年5月3日(憲法記念日)‬

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皇太子が誕生日に 向けて行った記者会見の全文 (毎日新聞より)

2017年2月25日(土)

皇太子が、2月23日の57歳の誕生日に向けて行った記者会見の模様。

 早いニュースでは、1週間ほど前に出ていたようですが、正式には
2月23日に報道公開となったようです。

 次の天皇としての立場から次のような意志表明。 

 私といたしましては、陛下のお考えを真摯に重く受け止めますとともに、今後私自身が活動していくのに当たって、常に心にとどめつつ務めに取り組んでまいりたいと思います。


 日本国憲法の象徴天皇制についても・・・

 象徴天皇については、陛下が繰り返し述べられていますように、また、私自身もこれまで何度かお話ししたように、過去の天皇が歩んでこられた道と、そしてまた、天皇は日本国、そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。 

   と発言し憲法遵守の姿勢を強調されました。

 今後数十年以内に顕在化する水不足や洪水についても関心を示され 

 私がここ10年ほど関わっている「水」問題については、水は人々の生活にとって不可欠なものであると同時に洪水などの災害をもたらすものです。このように、「水」を切り口として、国民生活の安定、発展、豊かさや防災などに考えを巡らせていくこともできると思います。私としては、今後とも、国民の幸せや、世界各地の人々の生活向上を願っていく上での、一つの軸として、「水」問題への取り組みを大切にしていければと思っております。 

   と述べられた。

 また、次世代の皇室の在り方について 

皇室の将来の在り方に関しては、私は、以前にも申しましたけれども、その時代時代で新しい風が吹くように、皇室の在り方もその時代時代によって変わってきていると思います。過去からさまざまなことを学び、古くからの伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたいと考えております。 

   との考えを示された。

以下、引用します。


皇室:皇太子さまの誕生日会見(全文)
 毎日新聞 ー 2017年2月23日
 

象徴のあり方求め続ける

 皇太子さまの57歳の誕生日に合わせて行われた記者会見での質問と発言は次の通り。

 --天皇陛下は昨年8月に公表された象徴の務めに対するおことばで、即位後に象徴天皇としてご自身が歩まれてきた道や、高齢となった天皇の在り方についてお考えを表明されました。表明に至るまで、殿下は天皇陛下のお考えをいつ、どのような形でお聞きになり、表明されたおことばをどのように受け止められましたか。今後、天皇、皇后両陛下にどのようにお過ごしになっていただきたいかという点もお聞かせください。

 皇太子さま
 昨年8月8日の天皇陛下のおことばを、私は、愛知県での公務を終えた後の名古屋駅で厳粛な思いで伺いました。天皇陛下のお考えをいつ、どのような形でお聞きしたか、というお尋ねについては、何か特別な場でそういったお話があったというわけではありませんし、私自身は折に触れて陛下のお考えを直接お聞かせいただいたり、あるいは、そのお姿やお話しぶりから推し量ることもございましたので、明確にいつどの機会にどういった形でということを申し上げるのは難しいと思います。

 天皇陛下には、ご即位以来、長年にわたり象徴天皇としてのお務めを果たされる中で、そのあるべき姿について真摯(しんし)に模索してこられました。今回のお考えは、そうした模索と熟慮の結果を踏まえ、また、内閣をはじめ主な関係者ともご相談なさった上で、おまとめになられたものであろうと思います。思い返しますと、私が初めて両陛下のご公務にご一緒させていただいたのは、恐らく、私が4歳で、陛下が皇太子でいらっしゃった昭和39年の東京オリンピックではなかったかと思います。それ以来、ボーイスカウトのジャンボリー、高校総合体育大会、冬季スケート国体など、そういった行事にお連れいただきましたが、その度に、両陛下が一つ一つの行事を大切に思われ、真摯に取り組まれるお姿を間近に拝見してまいりました。ですので、今回、陛下がおことばの中で「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか」とご案じになられていることに、とても心を揺さぶられましたが、同時に陛下のお気持ちがそこに至った背景につきましては十分お察し申し上げていると思います。私といたしましては、陛下のお考えを真摯に重く受け止めますとともに、今後私自身が活動していくのに当たって、常に心にとどめつつ務めに取り組んでまいりたいと思います。

 また、両陛下のご健康をご案じ申し上げつつ、両陛下には、お身体(からだ)をお大切になさり、末永くお元気でいらっしゃることを心から願っております。それとともに、これからは、ご自身のためにお使いになる時間をもう少しお取りになれるとよろしいのではないかと思っています。

 --政府が設置した有識者会議で象徴天皇の在り方について議論が重ねられており、国民の関心も高まっています。次期皇位継承者である殿下ご自身は象徴天皇とはどのような存在で、その活動はどうあるべきだとお考えでしょうか。殿下が即位されれば皇后となられる雅子さまの将来の務めについて、お二人でどのようなお話をされておられますか。

 皇太子さま
 象徴天皇については、陛下が繰り返し述べられていますように、また、私自身もこれまで何度かお話ししたように、過去の天皇が歩んでこられた道と、そしてまた、天皇は日本国、そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。

 陛下は、おことばの中で「天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と述べられました。私も、阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した折には、雅子と共に数度にわたり被災地を訪れ、被災された方々から直接、大切な人を失った悲しみや生活面でのご苦労などについて伺いました。とても心の痛むことでしたが、少しでも被災された方々の痛みに思いを寄せることができたのであればと願っています。また、ふだんの公務などでも国民の皆さんとお話をする機会が折々にありますが、そうした機会を通じ、直接国民と接することの大切さを実感しております。

 このような考えは、都(みやこ)を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。昨年の8月、私は、愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に、戦国時代の16世紀中ごろのことですが、洪水など天候不順による飢饉(ききん)や疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が、苦しむ人々のために、諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰般若心経(しんかんはんにゃしんぎょう)のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般若心経は岩瀬文庫以外にも幾つか残っていますが、そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。災害や疫病の流行に対して、般若心経を写経して奉納された例は、平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇をはじめ、鎌倉時代の後嵯峨天皇、伏見天皇、南北朝時代の北朝の後光厳天皇、室町時代の後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、そして、今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたいと思います。私が、この後奈良天皇の宸翰を拝見したのは、8月8日に天皇陛下のおことばを伺う前日でした。時代は異なりますが、図らずも、2日続けて、天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます。

 私がここ10年ほど関わっている「水」問題については、水は人々の生活にとって不可欠なものであると同時に洪水などの災害をもたらすものです。このように、「水」を切り口として、国民生活の安定、発展、豊かさや防災などに考えを巡らせていくこともできると思います。私としては、今後とも、国民の幸せや、世界各地の人々の生活向上を願っていく上での、一つの軸として、「水」問題への取り組みを大切にしていければと思っております。

 また、私のこうした思いについては、日ごろから雅子とも話をしてきており、将来の務めについても話し合っていきたいと考えております。

家族の体調改善
 --ご家族について伺います。雅子さまは式典への出席が増えるなど着実に活動の幅を広げられました。殿下が感じられた雅子さまの変化や現在のご体調についてお聞かせください。愛子さまはこの1年、両殿下とのお出ましが増える一方、体調を崩され学校を長期欠席されることもありました。春には高校進学を控える愛子さまのご様子、進学や皇族としての活動など今後に寄せられる思いについてもお聞かせください。

 皇太子さま
 雅子は、治療を続ける中で、体調に気を付けながら、努力と工夫を重ね、公私にわたってできる限りの務めを果たそうとしております。その結果、昨年は、式典への出席回数も増え、また、4月の神武天皇二千六百年式年祭の儀や、6月の岩手県での復興状況視察、8月の「山の日」記念全国大会など、公的な活動を、少しずつではありますが、一つ一つ着実に積み重ねてきており、それがまた本人の自信にもつながり、活動の幅が広がってきていることを、私としてもうれしく思っております。また、東宮御所内での仕事などでも、私をよく支えてくれておりますし、愛子が体調を崩した折をはじめ、母親として愛子の成長を見守り、導いてくれていることに、心から感謝しております。

 このように、雅子は着実に快復してきておりますが、一方で、依然として体調には波もありますので、引き続き焦ることなく、慎重に少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思います。国民の皆様には、これまで雅子に温かく心を寄せていただいておりますことに、改めて心より感謝の気持ちを表すとともに、引き続き雅子の快復を温かく見守っていただければありがたく思います。

 愛子については、先生方や多くの友達に囲まれ、中学校生活の最後をとても有意義に、そして楽しく過ごしているようです。一時期体調を崩したこともあり、皆様にご心配をお掛けいたしましたが、雅子の支えもあり、今はふだんどおり学校生活に戻っております。また、昨年は、夏休みの機会に、神武天皇山陵の参拝や、「水を考えるつどい」、「山の日」記念全国大会など、さまざまな行事や場所に3人で出掛けることができました。こうした機会を通じて、皇族としての務めについての理解を深め、また、自覚と役割を学びつつあるように思います。4月からは高校生になり、新たな環境に身を置くことになりますが、今後とも、機会を捉えていろいろな経験を積んで、人として、また、皇族の一員として、健やかに成長していくことを願っております。

 天皇、皇后両陛下には、日ごろ、私ども家族を温かくお見守りいただいておりますことに、心から感謝申し上げます。

 --皇族方の減少や高齢化が進む中、皇室の現状や将来の在り方についてどのようにお考えでしょうか。両陛下の負担軽減や皇族方による公務の引き継ぎ、分担についての殿下のお考えもお聞かせください。

 皇太子さま
 皇室の現状についてのご質問ですが、男性皇族の割合が減り、高齢化が進んでいること、また、女性皇族は結婚により皇籍を離れなければならないということを前提とした場合に、皇族が現在行っている公務をどのように引き継ぎ、どう分担していくべきかという点は、将来の皇室の在り方とも関係し、大切な問題であると思います。そして、皇室の将来の在り方に関しては、私は、以前にも申しましたけれども、その時代時代で新しい風が吹くように、皇室の在り方もその時代時代によって変わってきていると思います。過去からさまざまなことを学び、古くからの伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたいと考えております。

 公務の引き継ぎや分担につきましては、お仕事の一つ一つを心から大切にしてこられた陛下のお気持ちを十分に踏まえながら、私をはじめ、皇族が適切に役割を担っていくことが重要であると思います。一昨年から、こどもの日と敬老の日にちなんでの施設訪問を両陛下から秋篠宮と共に受け継がせていただきましたし、昨年は、小中学校長の拝謁及び国際緊急援助隊・国際平和協力隊の接見を私が引き継がせていただくことになりました。また、昨日まで、陛下の名代として第8回アジア冬季競技大会の開会式に出席するため、北海道を訪れておりました。私としては、今後とも、引き継がせていただいた公務を大切に務めながら、少しでもお役に立つことがあれば、喜んでできる限りのお手伝いをしてまいりたいと思っています。

 なお、皇室の制度面の事柄については、私が言及することは控えたいと思います。

リオ難民選手団に喜び
 --この1年を振り返り、印象に残った公務や社会、皇室の出来事についてお聞かせください。

 皇太子さま
 この1年を振り返ると、昨年と同じように、国内外で多くの自然災害が発生し、各地で人々に大きな被害をもたらすとともに、多数の方々の命を奪ったことを、とても残念に思います。日本では、4月に発生した熊本地震により、被災者は今なお不安を抱えながら生活を続けておられると聞いております。8月末に東北地方と北海道を襲った台風10号による大雨は、北海道や、震災からの復興という険しい道のりを歩む岩手県に大きな傷痕を残しました。世界に目を向けても、エクアドルやイタリアなどで地震が発生し、それぞれ数百名が亡くなられるなど、人々の生活に大きな影響を与えています。こうした災害により、不幸にも犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。

 東日本大震災の発生から今年の3月で6年となりますが、昨年6月、復興状況視察のため岩手県を訪れました折には、着実に復興が進んでいることを実感すると同時に、引き続き仮設住宅にお住まいの方々がご苦労を重ねながら日々暮らしていらっしゃることを伺い、心が痛みました。被災された方々が一日も早く安心して暮らせるよう、被災者お一人お一人のご健康と幸せを祈りながら、今後とも、雅子と共に、被災者に寄り添い、被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います。

 そのほか、国内の出来事としては、7月下旬、神奈川県の障害者施設が襲われ19人もの尊い命が失われた事件に、大きな衝撃を受けました。また、高齢者による交通事故のニュースや子供を含む格差の問題もよく目にするようになったと感じており、気にかかっております。日本国外でも、依然として世界各地でテロ事件が頻発しており、難民の問題もいまだ解決の糸口が見えておりません。そのような中で、リオデジャネイロのオリンピック・パラリンピック大会では、難民選手団が結成され、人々の拍手に応えて明るい表情で入場行進をしている姿には、安堵(あんど)と喜びを覚えました。現在の世の中で、特に子供やお年寄り、障害者といった社会的に弱い立場にいる人々が犠牲になっていることは、とても残念に思います。全ての人が広い心を持って、お互いを尊重し合い、こうした弱い立場にある人々を含め、皆が安心して暮らせる社会を構築するために、地域社会、さらには国際社会全体が一つになって知恵を出し合い、協力していくことが、より一層求められる時代になっていると感じます。

 明るいニュースとしましては、夏のリオデジャネイロでのオリンピック・パラリンピックにおける日本選手団の活躍や、長年にわたるオートファジーの研究を評価された大隅良典博士のノーベル生理学・医学賞受賞などがありました。世界の中で日本人がそれぞれの分野で高く評価され、あるいは、世界の第一線で活躍していることの証しであり、とてもうれしく思います。

 皇室の出来事としては、やはり昨年10月に三笠宮崇仁親王殿下が薨去(こうきょ)されたことが思い出されます。三笠宮殿下には、私が学生だった時代、歴史研究のお話を伺い、研究者としての心構え、姿勢を学ばせていただいたことを感慨深く思い出します。また、私のみならず、雅子も愛子も、本当によくしていただきましたので、改めて、これまで私たちに寄せていただいたご厚意に感謝申し上げるとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。また、我が国皇室と関係の深かったタイのプミポン国王が崩御されたことも、悲しい出来事でした。タイ王室の方々とタイ国民の皆様に対して、心から哀悼の意を表したいと思います。

 印象に残った公務についての質問ですけれども、地方や都内での式典や視察、東宮御所内での行事など、いずれもそれぞれに特徴があり、印象深いものでしたので、特にこの公務と挙げることは難しいと思います。この週末に訪れた北海道を含め、地方訪問では、暑さや寒さの厳しい時もありましたが、長い時間沿道に立ち並び、いつも、私や、雅子も一緒の時には私たち2人を、温かく笑顔で迎えてくださった方々のお気持ちを、とてもうれしく思いました。また、視察先や東宮御所での行事などで、若い世代の方々とお話をする機会がありますが、皆さんが、目を輝かせながら自分たちの進みたい道を力強く語られるのを見て、とても心強く思いました。

 なお、この1年間、私たち家族としては、活動の幅を広げることができた1年ではなかったかと思います。先ほどもお話ししましたように、雅子は、治療を続けながら、努力と工夫を重ね、岩手県での復興状況視察、長野県での「山の日」記念全国大会、岐阜県での農業担い手サミットのほか、賢所での神武天皇二千六百年式年祭の儀や、都内での式典にも数多く出席するなど、公的な活動を少しずつですが着実に積み重ねることができました。また、愛子も、8月の「水を考えるつどい」の機会に初めての式典参加を経験するなど、さまざまな行事に3人で出掛けることができました。国民の皆様が私たちを温かく見守り、また、支えてくださったことに、改めて心から感謝いたします。

 --第1問と第2問の象徴天皇の在り方に関連してお伺いします。殿下のお答えでかなり具体的に殿下のお考えを理解できたのですが、あえてもう一回お尋ねいたします。昨年8月の天皇陛下のおことば以来、象徴天皇というのはどのような在り方がふさわしいのかというさまざまな議論がありました。大きく分けると、いろいろな議論が出たのですが、一つは天皇というのは存在自体が重要である、そういう考え方と、活動してこそが象徴天皇であると、二つの考え方が大きく分ければ出たと言えるのですけれども、そのうちの一つの存在すればいいという天皇観は、似ていると言えば、戦前の神格化された天皇観ですね、こういうものに似ていると思うのですが、現代ではそういう考え方は少数であるとは思うのですけれども、日本社会に根強くそういう考えの方がいらっしゃるというのも事実だと思いますけれども、そのことに関して、殿下はどのようなお考えをお持ちでしょうか。

 皇太子さま
 今お話のあったような、天皇に関しては二つの考え方があるということは私も承知しております。そして今、会見の席でもお話ししましたように、私としましても、象徴天皇の在り方というのをいろいろ本当に真摯に考えてまいっているところであります。象徴天皇についていろいろな考え方があるということは私も承知しておりますが、私自身としては、やはりいろいろと今後とも勉強しながら、象徴天皇の在り方というものを、今の陛下の例に倣いつつ考えていきたいと思っております。

 --今の質問とも若干関連しますが、先ほど殿下のお話の中で、次期皇位継承者としての象徴天皇像について、過去の長い天皇の歩みを振り返り、後奈良天皇の御宸翰のご紹介がありましたが、もう一つ天皇の長い歴史の中で譲位という形態が近代以前においては常態化していたわけですが、殿下の、長い皇室の歴史から見て、また次期天皇になられるお立場から、両陛下のお立場になられたときに置き換えて、その譲位について、日ごろお考えになられていることがありましたら、お聞かせいただければと思います。

 皇太子さま
 私自身、大学で日本中世史を勉強しておりました。特に鎌倉時代、室町時代の主に交通、あるいは流通史を中心に学んでいたわけですけれども、私自身、中世史を研究しているという関係で、譲位された天皇がおられるという事実は承知しております。私からは、特にそれ以上のことは、今申し上げるのは控えたいと思います。

ニュースサイトで読む:
http://mainichi.jp/articles/20170223/ddm/010/040/021000c#csidx2c68308bec08961843af50efe79f32f
Copyright 毎日新聞



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明仁天皇が天皇誕生日 の記者会見で御意向を伝えられず!? 安倍政権の画策で?!

2016年12月23日(金・天皇誕生日)

実は、12月20日に収録されていた天皇誕生日の記者会見の模様。

リテラによると、安倍政権からの圧力で相当制限された内容だった可能性があるとのこと。


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天皇陛下のお誕生日に際してのご近影


宮内記者会代表質問

問 今年は五輪・パラリンピックが開催され,天皇陛下にはフィリピンや東日本大震災,熊本地震の被災地などを訪問される一方,三笠宮さまやタイのプミポン国王とのお別れもあり,8月には「象徴としての務め」についてお気持ちを表明されました。
  この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。

天皇陛下
今年1年を振り返ると,まず挙げられるのが,1月末,国交正常化60周年に当たり,皇后と共にフィリピンを訪問したことです。アキノ大統領の心のこもった接遇を受け,また,訪れた各地でフィリピン国民から温かく迎えられました。私が昭和天皇の名代として,初めてフィリピンを訪問してから,54年近くの歳月が経たっていました。この前回の訪問の折には,まだ,対日感情が厳しい状況にあると聞いていましたが,空港に到着した私どもを,タラップの下で当時のマカパガル大統領夫妻が笑顔で迎えてくださったことが,懐かしく思い出されました。

今回の滞在中に,近年訪日したフィリピン人留学生や研修生と会う機会を持ち,また,やがて日本で看護師・介護福祉士になることを目指して,日本語研修に取り組んでいるフィリピンの人たちの様子に触れながら,この54年の間に,両国関係が大きく進展してきたことを,うれしく感じました。

両国の今日の友好関係は,先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人,日本人の犠牲の上に,長い年月を経て築かれてきました。この度の訪問において,こうした戦没者の霊の鎮まるそれぞれの場を訪ね,冥福を祈る機会を得たことは,有り難いことでした。また,戦後長く苦難の日々を送ってきた日系2世の人たちに会う機会を得たことも,私どもにとり非常に感慨深いことでした。

今後とも両国の友好関係が更に深まることを祈っています。

東日本大震災が発生してから5年を超えました。3月には,福島県,宮城県の被災地,そして9月には岩手県の被災地を訪問し,復興へ向けた努力の歩みとともに未いまだ困難な状況が残されている実情を見ました。その中で岩手県大槌町では,19年前に滞在した宿に泊まりましたが,当時,はまぎくの花を見ながら歩いたすぐ前の海岸が,地震で海面下に沈んで消えてしまっていることを知り,自然の力の大きさ,怖さをしみじみと思いました。

この5年間,皆が協力して復興の努力を積み重ね,多くの成果がもたらされてきました。しかし同時に,今なお多くの人が困難をしのんでおり,この人々が,1日も早く日常を取り戻せるよう,国民皆が寄り添い,協力していくことが必要と感じます。

4月には熊本地震が発生しました。14日夜の地震で,多くの被害が出ましたが,16日未明に本震が発生し,更に大きな被害が出ました。その後も長く余震が続き,人々の不安はいかばかりであったかと思います。

5月に現地を訪れましたが,被害の大きさに胸を痛めるとともに,皆が協力し合って困難を乗り越えようと取り組んでいる姿に,心を打たれました。

今年はさらに8月末に台風10号による大雨が岩手県と北海道を襲い,その中で高齢者グループホームの人たちを含め,多くの人が犠牲になったことも痛ましいことでした。

このような災害に当たり,近年,個人や様々な団体と共に,各地の県や市町村などの自治体が,被災地への支援の手を差し伸べ,さらにそれを契機として,全国で様々な地域間の交流が行われるようになってきていることを,うれしく思っています。

8月には,天皇としての自らの歩みを振り返り,この先の在り方,務めについて,ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け,各々の立場で親身に考えてくれていることに,深く感謝しています。

8月から9月にかけて,リオデジャネイロでオリンピックとパラリンピックが開催されました。時差があったこともあり,毎朝テレビで,日本人選手の活躍する姿が見られたことは,楽しいことでした。オリンピックと同様に,パラリンピックにも多くの人々の関心が寄せられていることをうれしく思いました。

10月中旬にタイのプミポン国王陛下が崩御になりました。昭和38年に国賓として訪日された時に初めてお目に掛かり,その翌年に,昭和天皇の名代として,皇后と共にタイを訪問し,国王王妃両陛下に温かく迎えていただき,チェンマイなど,タイの地方にも御案内いただきました。即位60周年のお祝いに参列したことを始め,親しく交流を重ねてきた日々のことが,懐かしく思い出されます。

10月下旬には,三笠宮崇仁親王が薨去こうきよになりました。今年の一般参賀の時には,手を振って人々に応えていらしたことが思い起こされます。戦争を経験された皇族であり,そのお話を伺えたことは意義深いことでした。

11月中旬には,私的旅行として長野県阿智村に行き,満蒙開拓平和記念館を訪れました。記念館では,旧満州から引き揚げてきた人たちから話を聞き,満蒙開拓に携わった人々の,厳しい経験への理解を深めることができました。

また,その際訪れた飯田市では,昭和22年の大火で,市の中心部のほぼ3分の2が焼失しています。その復興に当たり,延焼を防ぐよう区画整理をし,広い防火帯道路を造り,その道路には復興のシンボルとして,当時の中学生がりんごの木を植えた話を聞きました。昭和20年代という戦後間もないその時期に,災害復興を機に,前より更に良いものを作るという,近年で言う「ビルド・バック・ベター」が既に実行されていたことを知りました。

12月には,長年にわたるオートファジーの研究で,大隅博士がノーベル賞を受賞されました。冬のスウェーデンで,忙しい1週間を過ごされた博士が,今は十分な休養をとられ,再び自らが望まれているような,静かな研究生活に戻ることができることを願っています。

年の瀬が近づき,この1年を振り返るとともに,来年が人々にとって良い年となるよう願っています。




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憲法9条は、日本側(幣原首相)から提案した記録が明らかに!

2016年11月4日(木)

昨日は、日本国憲法が公布されてから70周年の記念すべき日でした。

これを一つの契機として、重大なニュースが公表されました。

西日本新聞に憲法9条に関して新たに当時の関係者の記録が
発見されたろのニュースが第1面TOPで、大きく掲載されています。

以下、記事を貼り付けておきます。

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【公布70年 論憲のすすめ 焼け野原の萌芽】 西日本新聞連載 つづき

2016年10月4日(火)

 おととい御紹介した 西日本新聞の連載コラム
  【公布70年 論憲のすすめ 焼け野原の萌芽】  の 続き

論憲のすすめ 焼け野原の萌芽(3) 報国弁護士から脱却
 西日本新聞 - 2016年10月01日 01時24分
 

  老練な振る舞いか、精いっぱいの意思表示か。民間から憲法草案が次々と発表される中、法の専門家である弁護士たちも1946年1月、遅ればせながら独自案をまとめた。ただ、その行為や内容に対する評価を聞いてもすっきりしない。

   ■    ■

 「突っ込みが足りない」というのは、福岡県弁護士会の迫田登紀子弁護士(48)。法曹関係者や市民でつくる劇団「ひまわり一座」の代表で、毎年5月3日に憲法をテーマに演じている。個人的には、基本的人権の本質を規定した憲法97条を特に大切にしているという。

 当時、独自案をまとめたのは、大日本弁護士会連合会という全国組織だった。国民投票制、議会権限の拡張、天皇大権の制限…。ただし、国民主権については明確にしていなかった。迫田さんは「明治憲法を引きずっており、これでは人権が軽んじられた戦争を繰り返しかねない」と疑問符を付ける。

 今年の憲法記念日。一座は、憲法に国家緊急事態宣言が盛り込まれて警察の捜査権限が拡大された近未来の日本に、政治に無関心な学生がタイムスリップするシナリオを演じた。「もしも劇の通りになったら、人権という武器を奪われてしまう」。先の大戦では物語ではなく、現実だった。

   ■    ■

 「仕方なかったのでは」というのは、同県久留米市で4代にわたって弁護士事務所を構える大石昌彦弁護士(54)。ちょうど祖父の代が終戦前後に当たる。

 大日本弁護士報国会-。44年に設立された全国組織である。戦局が厳しくなる中、弁護士もまた、国家総動員体制に組み込まれていった。罪を犯す人間は国賊とみなされ、弁護する側も「時局非協力」と批判された。個人の主張は反国家的とみなされた。

 「祖父は大正デモクラシーを理解した正義感の強い弁護士だったと聞いています」。そうであればこそ立場は苦しく、食いぶちを失った。旧憲法下、戦争が終わっても弁護士の地位は低いままで、検察側に懲戒権を握られていた。

 そんな中で革新的な憲法草案を発表すれば、どうなるか。「大変な時代を乗り越えようとする決心の表れと受け取りたい」。大石さんは祖父の時代を思う。

 もちろん、もっと厳しい見方もできる。神戸学院大の内田博文教授(刑事法)は「戦争に協力した後ろめたさを拭い去ろうとする社会ヘのアピール、アリバイづくりともいえる」と指摘する。問われるべきは「過去とどう向き合っていたのか」だという。

 終戦から4年後の49年、弁護士法が制定され、国権から独立した地位が確立した。その時に発足したのが日本弁護士連合会である。

=2016/10/01付 西日本新聞朝刊=




論憲のすすめ 焼け野原の萌芽(4) 民間案にGHQ注目
 西日本新聞 - 2016年10月02日 01時00分
 

 老紳士がうめいた。「これを受け入れろというんですか…」。1946年2月13日、吉田茂外相が連合国軍総司令部(GHQ)から憲法草案を示された場面の再現ドラマだ。改憲を目指す運動組織「日本会議」の関連団体が制作したDVDで、「押し付け憲法」を強調した内容になっている。

 結局、数々の民間草案は実らなかったのか。取材班は米国へ向かった。

   ■    ■

 首都ワシントンの近郊にある国立公文書館。GHQ草案を作成した主要スタッフの一人、ラウエル陸軍中佐が46年1月11日に書いた極秘メモを入手できた。

 題名は「私的グループによる憲法改正草案に対する所見」。統計学者の高野岩三郎氏=長崎市出身=ら民間7人でつくる「憲法研究会」がまとめた草案に着目し、綿密な検討を加えた上で「民主主義的で賛成できる」と高く評価していた。

 GHQ草案は46年2月4日から約1週間で書き上げられたとされる。研究会が草案を公表したのは45年12月26日。首相官邸のほか、GHQにも英訳して提出していた。独協大の古関彰一名誉教授(憲法史)は「新憲法の制定に向けた議論が行われる早い段階で、GHQの担当者が民間草案に強い関心を持っていたのは間違いない」と指摘する。

 こうしてできたGHQ草案に対し、日本政府は「うめく」だけだったのか。

   ■    ■

 〈あまりにも革新的で、とうてい日本の国情には合わないと思われた〉

 GHQ案の条文を巡る米側との折衝を担った法制局第1部長、佐藤達夫氏=福岡県うきは市出身=は、63年に西日本新聞へ寄せたコラムで振り返っている。後の内閣法制局長官である。

 ほんの半年前まで「一億玉砕」を叫び、終戦しても心に葛藤を残す国民は多かった。「丸のみするわけにはいかない」。当時41歳の官僚に激務の日々が始まった。次女の紀子さん(77)=東京都杉並区=は、毎日深夜に帰宅した父が、空襲で焼け残った蔵にこもり、乏しい明かりの下で英文タイプライターを打ち続けていた姿を覚えている。

 46年3月6日、憲法改正草案要綱の閣議決定にこぎ着けた。GHQ草案には議会の一院制や土地の国有化など現行憲法とは異なる条項もあったが、削除となった。佐藤氏は後年、紀子さんに折衝の様子を語っている。「日本のために良いものを一緒に作ろうという雰囲気だった」

 民間草案も参考にしたGHQの憲法作り。民意を意識した官僚の折衝。ところが今夏、バイデン米副大統領が「日本国憲法は私たちが書いた」と公言した。そのニュースを知った紀子さんは思わず声を上げた。「そんなことないわよ!」

=2016/10/02付 西日本新聞朝刊= 




   最終回には、鈴木安蔵の名前と 『五日市憲法』 の名称が出てきた!
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論憲のすすめ 焼け野原の萌芽(5) 源流は自由民権運動
 西日本新聞 - 2016年10月03日 01時00分
 

  老博士は種を明かした。「私擬憲法だよ」。声の主は晩年の鈴木安蔵氏(1904~83)。終戦直後、民間団体「憲法研究会」の草案作りに携わった憲法学者だ。歴史家の新井勝紘さん(72)=東京都=が若い頃、何を参考にしたのか尋ねると、そう答えたという。

 私擬憲法-。明治憲法の公布前に市井の人たちが検討した構想を指す。連合国軍総司令部も注目した憲法研究会の草案は、自由民権運動に源流があった。

   ■    ■

 大学4年の夏の興奮を、新井さんは今も鮮明に覚えている。明治100年に当たる1968年、民衆史ゼミの教授と一緒に東京都五日市町(現あきる野市)の山奥を訪ね、朽ちかけた旧家の土蔵を調査していた。

 竹製の箱を開くと、24枚つづりの和紙に「日本帝国憲法」の文字。書写かと思いきや、実は違った。〈国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可(ベ)シ〉。明治憲法が公布される8年前の1881年、教師や地主、農民ら10~20代中心の地元有志で書き上げた私擬憲法だったのだ。

 基本的人権の尊重、教育を受ける義務、法の下の平等、地方自治権、言論や信教の自由まで盛り込まれた全204条は、やがて「五日市憲法草案」と命名された。「今の憲法には、祖先の民主主義や立憲主義への思いが流れている」。後に専修大教授となる新井さんは、日本近代史の研究に没頭していった。

   ■    ■   

 その数、90以上。坂本龍馬の「船中八策」を皮切りに、明治憲法に至る過程で多くの私擬憲法が生まれていた。それなら九州にもあったはず。取材班は国立国会図書館へ向かった。

 憲政資料室で調べていくうちに、1880年に福岡県の「筑前共愛会」が起草した「大日本帝国憲法見込書大略」という写本を見つけた。原本の所蔵先は「福岡市玄洋社」とある。

 玄洋社記念館(福岡市中央区)に問い合わせた。だが、吉村剛太郎理事長(77)は「民権結社として国会開設やアジア解放に力を注いだことは知られていますが…」。記念館から関連資料を寄託されている市博物館にも「原本は見当たらない」(学芸課)という。

 筑前共愛会には、玄洋社のメンバーをはじめ、士族や豪農ら幅広い層が結集していたとされる。それでも私擬憲法のことは、地元でも忘れ去られていた。

 「当時は政府任せではなく、自分たちで国づくりを考える意識が旺盛だった。残念ながら、今の憲法論議は市民レベルで盛り上がっているとはいえません。過去に学ばなければ」と吉村さんは自省する。先人のまいた種を、再び萌芽(ほうが)させる時が来ている。

 =おわり

=2016/10/03付 西日本新聞朝刊=




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【公布70年 論憲のすすめ 焼け野原の萌芽】 西日本新聞連載 

2016年10月2日(日)

 西日本新聞が
  公布70年 【論憲のすすめ】
    と題して連載を始めたので


 最初ちょっと警戒したが、 『焼け野原の萌芽』 と副題を付け、
高野岩三郎氏や鈴木安蔵氏など『平和・民主主義・共和制』 を
目指した人々の話を現在に活かし、先人の智慧を連載する企画
なので興味深く読んでみた。 


論憲のすすめ 焼け野原の萌芽(1) 老博士、戦争体験胸に
 西日本新聞 - 2016年09月29日 01時00分

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  老博士の主張は、先の大戦中であれば確実に投獄される過激さだった。〈天皇制ヲ廃止シ、大統領ヲ元首トスル共和制採用〉。1945年11月、長崎出身で社会統計学者の高野岩三郎氏(当時74)は「日本共和国憲法私案要綱」を起草した。

 学者仲間ら7人で立ち上げた「憲法研究会」の草案論議は「国体(天皇制)をいかに残すか」が中心だった。失われれば一億玉砕も辞さないという国民はまだ多かった。「天皇をかついで民主主義に逆行する運動を起こす恐れがある」と反論したが、グループ案には盛り込まれなかった。

 私案の原文は今も、初代所長を務めた法政大大原社会問題研究所(東京)に保管されている。元所長の五十嵐仁法大名誉教授は「天皇解任論も出てきた時期。戦中の言論統制が解けて自由に発言できる雰囲気が、先駆的な案を生み出す後押しとなった」と指摘する。

   ■    ■

 「解放された喜びで没頭したのでしょう」。島根県安来市に稲田宏子さん(88)を訪ねると、叔父の思いを代弁してくれた。島根出身の憲法学者、稲田正次氏(1902~84)も45年12月、私案を公表している。

 〈コノ案ハ大体英憲法ニ範ヲ採リ旧独主義ノ色彩濃キ条項ヲ改廃シタリ間米憲法ノ条項ニ傚ヒタルモノアリ〉。同盟国だったドイツの考えを廃し、敵だった米英を模範とした案。にわかに先進国で重視されてきた「人権」も明文化した。

 当時は東京文理科大の助教授で43歳。九州帝国大を卒業し、熊本の師範学校などで教壇に立ちつつ蓄積してきた最新の知識を一気に吐き出した。戦中は警察の目をかいくぐるため、研究場所を華族会館に置いたこともあった。

 稲田私案は正々堂々、国務相に提出された。

   ■    ■

 長さ1メートルほどの焼夷(しょうい)弾の破片が島根の自宅にあることを、宏子さんは覚えていた。東京で大空襲に遭い、防空壕(ごう)で命は助かったものの、家を失った叔父が持ち帰ってきたという。「叔父さんには、二度と戦争を起こすまいという思いがあったはず」。突出した案には批判がつきまとう。それも覚悟の上。高野私案がそうだったように、確固たる決意がそこにはあった。

 こうした民間草案は新聞に掲載されることが多かった。45年9月には連合国軍総司令部(GHQ)が報道機関を統制する規則「プレスコード」を発し、検閲に乗り出している。しかし、独協大の古関彰一名誉教授(憲法史)によると「規制の対象は連合国への批判であって、憲法草案に関する記事が削除された事実は見当たらない」という。

 新憲法は日本人自身の手で-GHQは当初、そう考えていたとされる。

=2016/09/30付 西日本新聞朝刊=



論憲のすすめ 焼け野原の萌芽(2) 統制解け私案も続々
 西日本新聞 - 2016年09月30日 01時35分

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 老博士の主張は、先の大戦中であれば確実に投獄される過激さだった。〈天皇制ヲ廃止シ、大統領ヲ元首トスル共和制採用〉。1945年11月、長崎出身で社会統計学者の高野岩三郎氏(当時74)は「日本共和国憲法私案要綱」を起草した。

 学者仲間ら7人で立ち上げた「憲法研究会」の草案論議は「国体(天皇制)をいかに残すか」が中心だった。失われれば一億玉砕も辞さないという国民はまだ多かった。「天皇をかついで民主主義に逆行する運動を起こす恐れがある」と反論したが、グループ案には盛り込まれなかった。

 私案の原文は今も、初代所長を務めた法政大大原社会問題研究所(東京)に保管されている。元所長の五十嵐仁法大名誉教授は「天皇解任論も出てきた時期。戦中の言論統制が解けて自由に発言できる雰囲気が、先駆的な案を生み出す後押しとなった」と指摘する。

   ■    ■

 「解放された喜びで没頭したのでしょう」。島根県安来市に稲田宏子さん(88)を訪ねると、叔父の思いを代弁してくれた。島根出身の憲法学者、稲田正次氏(1902~84)も45年12月、私案を公表している。

 〈コノ案ハ大体英憲法ニ範ヲ採リ旧独主義ノ色彩濃キ条項ヲ改廃シタリ間米憲法ノ条項ニ傚ヒタルモノアリ〉。同盟国だったドイツの考えを廃し、敵だった米英を模範とした案。にわかに先進国で重視されてきた「人権」も明文化した。

 当時は東京文理科大の助教授で43歳。九州帝国大を卒業し、熊本の師範学校などで教壇に立ちつつ蓄積してきた最新の知識を一気に吐き出した。戦中は警察の目をかいくぐるため、研究場所を華族会館に置いたこともあった。

 稲田私案は正々堂々、国務相に提出された。

   ■    ■

 長さ1メートルほどの焼夷(しょうい)弾の破片が島根の自宅にあることを、宏子さんは覚えていた。東京で大空襲に遭い、防空壕(ごう)で命は助かったものの、家を失った叔父が持ち帰ってきたという。「叔父さんには、二度と戦争を起こすまいという思いがあったはず」。突出した案には批判がつきまとう。それも覚悟の上。高野私案がそうだったように、確固たる決意がそこにはあった。

 こうした民間草案は新聞に掲載されることが多かった。45年9月には連合国軍総司令部(GHQ)が報道機関を統制する規則「プレスコード」を発し、検閲に乗り出している。しかし、独協大の古関彰一名誉教授(憲法史)によると「規制の対象は連合国への批判であって、憲法草案に関する記事が削除された事実は見当たらない」という。

 新憲法は日本人自身の手で-GHQは当初、そう考えていたとされる。

=2016/09/30付 西日本新聞朝刊= 



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【安保法制でどうなる 私たちの社会】

2016年6月11日(土)

 今日の14時から、福岡市中央市民センター・大ホールで
福岡県弁護士会主催の集会
【安保法制でどうなる? 私たちの社会】
が開催されました。

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 百数十名の参加者でした。

 講師は、西南学院大学の田村 元彦さん

 1時間の公演の後、FYMの若者(女性・27)と田村さんの対談が行われました。



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今夜の 【Terra Cafe Kenpou】 は浄土真宗西本願寺派の若手僧侶のおはなし

2016年2月16日

 今夜の 【Terra Cafe Kenpou】 は 「兵戈無用-若手僧侶が語る平和」

 金見倫吾さん(筑紫女学園大学非常勤講師、浄土真宗本願寺派僧侶) と
 中川一晃さん(浄土真宗本願寺派僧侶) のおはなし。

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 浄土真宗が戦争中に果たしてきた『戦争協力』の根源が何処にあったのか?
など、戦後民主主義の視点からみると否定的な役割を果たしてきた
宗教者の問題点を、『教義』の点から掘り下げます。
 そして、これらの『誤った判断』が釈尊や親鸞の目指した方向性から乖離した
ものであることなども説明されましたが、やはり宗教問答に付き難しい!

 今日のお話では、「若手僧侶が語る平和」 までは到達できなかったので、
2ヶ月先の4月19日(火)に第2回を開催する運びとなりました。

 今日のお話の要約は、後藤富和さんの facebook で報告されています。


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